性格は歯の矯正みたいなもので、パッとは変わりません。
毎日、じんわりと自信が持てる気分を持続させると、それが性格へとなっていきます。
この、じんわりと意識を変えるのに参考になるのが、全編静かな映画
『ガタカ』
です。
自信がない人に『ガタカ』をオススメする理由
ガタカのあらすじは、遺伝子によって最初から人の優劣を決める近未来で、劣等に生まれた人の物語です。
主人公は優等な遺伝子の者にしか許されていない、宇宙飛行士になろうとしています。
彼は優等な人間の生体IDである血液や毛髪などを手に入れ、遺伝子チェックをパスして宇宙局に入り込みます。
産まれてすぐに、様々な事を不可能と診断された主人公が、優等な者と肩を並べて、実力で宇宙飛行士になろうとする話です。
静かだから、感情移入できる
主人公が努力するさまは、毎日たんたんとしています。
偽りの身分がバレないよう、自分の痕跡を消して、別人の痕跡にすり替えます。
努力で他の者と肩を並べているのに、自分自身の存在を消さないと、その場にいられません。
それでも大声で理不尽を訴えたりしないで、ひたすら静かに、目的のために行動をします。
自信がない人は、自分で罰している状態
ガタカの主人公は、遺伝子で全てが決められる社会に対して、
『しょうがない』
で終わらせません。
世界に否定されても、自分だけは能力を信じています。
少しでも劣等なら、全て終わりなのか?
「東大生の親の年収は1000万円以上」
という報に対して、その条件にだけ目を向けて、不平不満を声高に叫ぶ人がいます。
こういう人は、できない理由を探し回っている人で、既に自分を諦めています。
自分を慰めるために、
『できなくてもしょうがない』
理由を見つけ、大声を出しているのです。
失敗者は他人をひきずりこむ
自分を諦めた人は、劣等感を埋めるために、他人を引きずり込みます。
自分だけが劣っているわけではないと思えば、和らぐからです。
そういう怨念化した人の声は、聞いてもプラスにはなりません。
わたしは無職で、ミニカップ麺を食べた残り汁に、ご飯を入れて食べるような生活をした時でも、劣等感は感じませんでした。
不遇な時というのは、バネが縮んだような状態で、次の展開の時にステップアップする力を溜めていると考えていました。
劣等感は他人に植え付けられるものではなく、自分が思ったら出てくるものです。
人は抗う時に、実力以上の力が出る
底辺生活を抜け出すには、相当の努力が必要です。
その時に一番重要なのは、ガタカの主人公のような、静かで確固とした信念です。
自分は絶対に素晴らしい能力を持っていて、それを表に出すのだという信念です。
学歴社会が、ガタカの世界に通じる
学歴社会の暗示で、受験に失敗したら生涯を悲観する人は多いです。
その閉鎖的な世界観が、ガタカの世界と重なります。
学歴に限らず、行き止まりと思える事は沢山あります。
他人が作った世界のルールに従って人生を終えるか、自分の気持ちに従って生きていくのかは、選択ができます。
努力は一夜漬けではなく、毎日の暮らしで
ガタカで描かれる努力は、わかりやすいものではありません。
映画の全編を通して、理不尽な世界で折れずに生きているさまが、観ている人に努力の在り方を教えてくれます。
世の中は理不尽なことだらけですが、そこでいじけたらお終いです。
自分のハンデをどう補うか
わたしの親・兄弟を見ると、偏差値50~60の家系です。
その中でもわたしは、HSP(繊細すぎる人)で勉強の苦手分野が色々とあり、学歴は最低でした。
ポーカーで言えば、弱いカードを配られたようなものです。
HSPで細かい所が気になり過ぎて、ブラックボックスみたいな数学の公式が苦手でした。
しかし欠点である学歴に目を向けなかったおかげで、社会人の偏差値である年収は2500万円に達しました。
弱いカードを引いたら
わたしに配られたカードは、ポーカーだったら弱い手札です。
それだったらルールを、ポーカーではないゲームに切り替えてしまえば良いのです。
学歴社会というのは、あくまでも高学歴の人に有利な世界です。
そこで最弱だとしても、別のゲームに変える事で最強になる事ができます。
弱い分野で闘わない
わたしは数学の公式が苦手だったので、社会では自分で公式を作りました。
他人が用意したものが苦手なら、自分で作ってしまえば良いのです。
何か一つが苦手なら、その対局に苦手を補う才能があります。
真正面からだと100の力がないと破れない壁も、視点を切り替えると50で突破できる場所があります。
偏差値が高くなくても、視点の切り替えができれば問題ありません。
だからわたしは
『高学歴でないと出来ない』
と思った事はありません。
不得意な事をするから自信を失う
会社で大量の履歴書類等を見ました。
以前書いた
は、この大量の解析から作っています。
そこには人生の足跡があって、各々で迷っていました。
書類から浮かぶ人格とは合っていない仕事を選んだ人は、上手にできずに自信を失っています。
そして挑戦をやめて、沈んでいきます。
わりと皆、つまづいている
仕事の評価が高い人でも、経歴の中でつまづきがあります。
その期間があった方が、復活して伸びる力が強いのだと思います。
人生を真面目に考えているからこそ、思い悩む期間があります。
ストレスを溜めて、それをエネルギーに変えられる人が壁を突破できます。
多くの事が出来る人
偏差値が高い人というのは、会社にとって都合がよい能力を持っています。
誰かが作った方法論でも素早く理解し、的確な仕事をします。
どこの部署でも大抵はこなせるので、とりあえず採用をしても間違いがありません。
例えるなら、どの仕事でも75点くらいを出せるという感じです。
こういう人が、学歴社会の成功モデルにされています。
得意な一つの事で、90点を出せばいい
色々な事で75点をとるより、出来る事が一つでも90点を出せれば、最高到達点は90点の方が上です。
学歴社会はハイアベレージな高学歴者が有利ですが、実社会は壁を乗り越えられる人が有利です。
『〇〇だからできない』
という失敗者の意見に耳を貸さず、自分の内なる声を聞き、進路を探してください。
社会人の成功について
このページで、社会人の偏差値を年収という風に言いましたが、これだと学歴社会の偏差値偏重と変わりません。
わたしは社会人の幸せは、必ずしも年収と比例しないと思っています。
ただ年収が少ない立場は、しばしば理不尽な扱いを受ける事があります。
それさえなければ、月給は25万円くらいで充分に思います。
例えば好きな陶芸をして、良い固定客に評価してもらえれば、月給25万円でも幸せでしょう。