「自分は何もできない」思考から脱した方法

転職の決断

仕事が上手くいかずに何回も転職していると、次第に「自分は何もできない」という思考に陥ります。

そんな風に自分の価値を低く見積もりながら選ぶ仕事は、ハードルを相当に下げた、誰でも就けるような給料の安い仕事になりがちです。

 

ですがそういう職場には他の仕事に就けないような問題のある人間が多く、業務内容と合わせて辛い環境です。

そしてまた短期で辞めてしまい、「やっぱり自分にできる仕事はない」という負のループが続いてしまいます。

 

このループを反転させることで、人生が180度変わります。

自分は何もできないと思っていると見下される

わたしは二十歳の段階で自信がなかったので、六十代でも採用される工事現場の誘導員のバイトをしました。

選んだのは夜勤で、日給が高かったのもありますが、自分は何もできないと思っていると卑屈になり、人目を避けたくなる気持ちもありました。

 

しかし夜中の道路にはまともな職業に就いていないような人間が蠢いていて、そんな連中に見下されて理不尽な扱いを受けました。

 

車を止められた事に腹を立てて罵声を浴びせてきたり、低速ですがゆっくり車をぶつけてきてニヤニヤ笑われたりしました。

 

誘導は年収の少なさを我慢すれば続けられると思って就きましたが、それ以上に屈辱を強いられる仕事でした。

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同僚の民度も低い

同僚に関しても民度が低めな人が多かったです。

こういう職場には誰かを見下すことで、自分の地位が上だと感じたがる人間がいるものです。

 

わたしも50歳くらいの人にターゲットにされた事があります。

そんな日々でわたしの自尊心は削られていき、ますます自信を失ってバイトを辞めました。

簡単な仕事でさえ続かないと、次にどんな仕事をしようかと考えても、何も浮かんでこなくなります。

 

ですがこれは自分のことを卑下して、価値を低く見積もった結果です。

「自分はダメだ」という思考から抜けない限り、永遠にダメな職場を渡り歩くことになります。

 

休んでリセット

わたしは仕事を辞める度に、結構長めの無職生活を送りました。

精神を癒すには、傷ついた期間と同じくらい回復に時間がかかります。

この無職の期間を自己嫌悪に費やすのではなく、些細な事でも自分を褒めて、自尊心を回復させていきました。

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わたしは復活を遂げる映画とか、昔の成功者の本を読んで追体験して、「自分は何かができる」という気持ちを高めていきました。

そうやって可能性に目を向けようという意識でいると、舞い込んでくるチャンスに気が付きやすくなります。

精神論は否定されがちですが、精神が向いている方向に行動がついてくるので、わたしは重視しています。

 

失敗の中から可能性を見つけられるようになる

失敗した時に「自分はできない」と思うだけだったのが、「自分は何かができる」という思考に切り替えてからは、失敗の中からでも成功の種が見つけやすくなりました。

 

例えばわたしが初めて正社員で入ったのがシステム会社でしたが、ここでの仕事は散々でした。

この会社は偽装派遣会社の側面があり、いろいろな会社に行かされて、テスト作業などをひたすらさせられました。

 

ようやく社内で生産管理ソフトのカスタマイズを命令されましたが、ペアを組んだ先輩はいつも居眠りを怒られているような人で、指示を仰げるレベルではありませんでした。

 

仕様書等もないので自分でプログラムの動きを追いましたが、全体像がサッパリわからないまま退職してしまいました。

しかし仕事のベクトルとしては自分に合っている気がしたので、無職になってからも勉強をつづけました。

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仕事ができないわけではなかった

わたしがソフトのカスタマイズが苦手だったのは、他人の設計に違和感があると、そこで理解が止まってしまうからでした。

 

 

普通はカスタマイズが出来なければ、それより難しい設計の作業は出来ないと思われがちです。

ですがそんな常識を無視して「自分はできる」という意識でいると、才能に気づきやすくなります。

 

わたしは仕事の流れを観察して合理化するのが、他人よりうまく出来る事に気が付きました。

だから自分で一から設計したプログラムは作れて、後の会社で大いに使えるスキルになりました。

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営業も苦手だった

 

遊休地の地主に営業をかける仕事も苦手でした。

東京で使っていない土地を持っているのは、相続で引き継いだような人ばかりです。

 

そういう人の中には資産の割に社会性がない人がいて、わがままな子供を相手にするような感じでした。

商談も相手の自慢話に愛想笑いをし続けるような、仕事なのかよくわからないものでした。

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営業の成否は合理的な理由ではなく、相手のご機嫌いかんに左右されるため、この仕事は自分に合わないと感じて辞めました。

 

しかし商談に苦手意識を持たず、業種を変えた別の仕事でデータを主体にした商談の方式を確立して、大きな成果を上げられるようになりました。

この時にデータの作成で使ったのが、前述の設計とプログラミングのスキルです。

 

適職は失敗の中から見つかった

 

システム会社も営業職も失敗でしたが、不思議なことにこの二つの要素を組み合わせると、わたしの適職になりました。

 

失敗した分野を選択肢の中からシャットアウトするのではなく、上手くできた部分を拾って組み合わせることで道が開けました。

どの仕事でも100%ダメだったわけではなく、何かしら良い部分があるはずです。

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底辺の世界から抜け出す

自分は何もできないと思って辿り着いた先は、これ以上は落ちようがない底辺の世界でした。

食べ物がない深海みたいなもので、得体の知れない人が多くて危険な上、自分に回ってくるお金の少ない世界でした。

 

 

その世界の住人は、押しが弱い人を見つけると依存して楽をしようとするので、やたらと絡んできます。

 

彼らはあなたの自尊心を奪って、隷属させようとしてきます。

だからせめて自分だけは、自分の事を価値があると思って下さい。そこから人生が変わってきます。

 

ちなみに他人に絡むような人は、得をしているようで結局は終わっていきます。

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底辺から抜け出すと楽になる

わたしが底辺の領域から抜け出した後は、相互で助け合いが出来る人間性の人と付き合い、ともに豊かになっていく事が出来ました。

底辺界と違って自立した人が多く、まともな人間関係というのはこんなにも楽なのかと思いました。

 

 

地獄の底から這い上がる時が最も大変ですが、そこから先は急に楽になります。

昔は屈辱に耐えてわずかなお金を得ていましたが、今は誰にも頭を下げる必要がない、株で配当金を得ています。

 

わたしが抜け出す時に編み出した面接や書類の書き方は、別カテゴリーに書いているので、よければ色々と読んでみてください。

 

 

人は褒められて伸びる

心理学でピグマリオン効果というものがあります。

これは褒められたり期待されると、能力が伸びる効果の事です。

心理学会では異論もあるようですが、少なくともわたしには効果がありました。

 

 

無論、無職の時に褒めてくれる人などいなかったので、自分で褒めていました。

本を一冊読んだだけでも褒めたし、公営プールで泳いだら「苦労を自ら買う自分が、豊かにならないわけがない」と思っていました。

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行動が伴って初めて効果が出る

自己肯定感を高めて将来を想像することで、自分が進む道が見えてきます。

 

わたしは年収1000万円の姿を思い浮かべて、就職や転職を繰り返した10年後に現実になりました。

10年間思い続ける事が出来たのは、想像することで希望が持てて、気持ちが楽になったからです。

 

ですが年収が上がる過程は一直線ではなく、途中の転職で下がる事もありましたが、それも経験になって最終的には年収2,500万円まで増やせました。

それまでに取った資格は一つもなく、「自分はできる」という思い込みを形にしただけです。

 

だからこれを読んでいる誰でも再現できる方法だと思っています。

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お金だけがゴールではない

都市部の仕事では給料が低い場所には、内向的だと見下してくる人間性の者が多かったため、わたしは高い年収を求めました。

そのおかげで社会人生活の後半戦は、大企業平均以上の年収がもらえました。

 

収入の多くを貯金に回したので、早めにリタイア資金が貯まりました。

 

その上で思うのは、不安や屈辱がない日々を送れるなら、ほどほどの給与でも十分ではないかという事です。

お金だけを求めれば道が狭まるので、平穏な生活を目標にしてはいかがでしょうか?

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