海外に行かないと視野の狭い社会人になる?⇒なりません

内向的な人の仕事・生き方

海外に行って、視野を広げないとダメですか?

いいえ、視野を広げるのに海外は関係ありません

 

 

「海外で見聞を広めないと、視野の狭い社会人になるゾ!」

 

と上から言う人がいますが、人によって気質が全く違うのに一括りにして説教をする事の方が、視野が狭いです。

 

東南アジアに英語留学とかに行った人を10年スパンで見てみると、衝動的な行動が多すぎて人生を詰みかけていたりします。

 

落ち着きのない人が海外に行って、衝動性が余計に強化されてしまうからです。

 

『海外に行かないとダメ』 『人脈を広げないとダメ』 

と言う人の方が、中身からっぽで没落していくのを見てきました。

 

彼らは外部の刺激や環境に依存するので、中身のない人が多いです。

それでも

『海外に行かないとダメ』

 

という意見が世間にあるのは、彼らの声の方が大きいからです。

 

『海外に行かなくても問題ない』

と思っている人は、あまり大声で発信しないタイプが多いので、ここで書いていきます。

海外に行かないと刺激を受けないの?

『現地に行って肌で感じないと』

 

と言う人がいるのは何故でしょう?

こういう人は直接刺激がないと、物事を認識する事ができない鈍感なタイプです。

 

鈍感な自分を基準にしているから、海外に行かない人は何も見識がなくて無知だと思っているのです。

 

敏感な人なら、読書やネットで十分に刺激と情報を得る事ができます。

自分の頭に知識を取り込めない人が、知識の飢餓感から動き回ります。

 

見聞を広める素養の無い人ほど、海外に行きたがる

 

明治の偉人たちが海外で見聞を広める事ができたのは、優秀過ぎて日本国内の情報だけでは足りなかったからです。

 

ダメ人間は海外に行ってもダメ人間なわけで、むしろダメさ加減がパワーアップします。

彼らは日本で冴えないから現実逃避として、海外に逃げているようにしか見えません。

 

世界とつながるインターネットに目を向けない人々

ネットワークで世界中とつなげられるインターネットができましたが、その存在を忘れて海外に行かないといけないのでしょうか?

 

嗅覚や触覚が伴わないと、情報が認識できない人はネットを嫌います。

そういう人は活字を読んでも頭に入らず、仕事のやりとりでも

 

『メールで』

 

とお願いしても、すぐに電話をかけてきてしまいます。

静的なメール・コミュニケーションより動的な電話の方が好みで、パソコンという道具を否定したがります。

 

落ち着きがない人と、パソコンの使い方には関連性があります。

落ち着きがない人は、表計算ソフトを紙のノートのように使い、電卓で計算したものを手で打ち込んだりします。

 

キョロ充みたいな人が社会人になった

一時期、主に大学のキャンパスで見られたキョロ充という人の性質が、

 

『海外に行かないとダメ』

 

と言う人と似ています。

キョロ充というのは、リア充(現実の人間関係等が充実している)に群がって、孤立していない事を周囲にアピールする人です。

 

他人から孤独だと思われないよう、常に見え方を気にするのでキョロ充と言われています。

見え方重視なので自分の核となるものがなく、ガワだけ取り繕っている軽薄な人です。

 

本人は交遊関係が広いと思っていますが、リア充たちからは何もない人だと思われています。

そんな人が社会人になると、『海外に行く』という事でハクをつけて、他人から一目置かれようとします。

 

海外に行けばレベルが上がるわけではない

海外で見聞を広めて効果があるのは、情報を活かす器を持っている人だけです。

福澤諭吉とか伊藤博文が海外に行ったのは意味がある事です。

 

国内で十分に知識を活かす知恵の使い方が出来ていて、より能力を向上させるには海外の情報が必要でした。

 

当時、情報を知る手段としては現地に行く以外に有効な手段はありませんでした。

しかし今は、就職しないで遊びの期間を増やしたいから海外に行く人が目立ちます。

 

語学留学を口実に海外をブラついていた人ほど

 

『海外を見なきゃダメだよ?』

 

とマウンティングをします。

 

空っぽな人は海外に行っても空っぽ

空っぽな人は頭の中に見聞を貯めておく箱が無いので、現地に行って新しい刺激に触れても貯まらず、その瞬間に興奮するだけで終わります。

 

貯まらないので常に刺激を求めていて、大音量のクラブや海外旅行で穴埋めします。

そこは行動力ととる事が出来ますが、無駄な動きが非常に多いです。

 

年齢を重ねて経験を蓄積されていけばいいのですが、空っぽなままでアラフォーになる人を見ました。

 

一言で言うと

『走るゾンビ』

 

という感じで、意味なく走り回って全ての進路が上手くいかない感じでした。

 

「うわぁあああっ」

と叫びながら走って柱にぶつかって、向きを変えて走り出して穴に落っこちるとか、そういう人生です。

 

こういう人は海外に行くんじゃなくて、禅寺にでも入って落ち着きを手に入れた方がよかったんじゃないかと思います。

 

他人に

『海外に行かないと視野が狭くなるよ』

と説教できるような人ではありません。

 

ハロウィンで騒ぐ人と一緒

渋谷のハロウィンで騒ぐ人も、空っぽな人たちです。

「海外に行かないと視野が狭くなるゾ」

 

と干渉してくる人と同じく、騒いだりゴミを散らかしたりして他人に干渉しないと、自分の存在を感じられない人たちです。

 

伝統的な祭りと違って、ハロウィンはド〇キでビニールの衣装を買って騒げば、それで何かをやった気分になれます。

 

キョロ充の文化はスタンドプレーだけで、何も生み出す物がありません。

 

地道な努力ができない人が海外に

地道な努力で地肩を鍛えて、知識を吸収できるくらいになってから海外に行くならわかります。

しかし自分に何も器がない状態で、ただ海外に行けば変わると思って行くのは無意味な事です。

 

地道な努力をしないで一足飛びに成果を得ようとして、結局は何もない人になります。

人脈が重要とか、友達が5000人いるとか言う人が40過ぎて無に帰るのも当然です。

 

自分の価値を高める努力をしないで、外部の人や環境に依存する人は、結局は誰にも相手にされなくなっていきます。

 

 

海外に行かなくても視野は広がる

海外に行かないと病の人たちは

『視野が広がる』

 

というのを記号として覚えているだけで、本質は理解していません。

視野とは、物事を多角的に見る目の事です。

 

視野を広げるとは

壁にぶつかったら、問題を別の角度から見ると答えが浮びやすくなります。

この時に別の角度から見る事ができるのが、視野を広いという事です。

 

例えば読書ばかりをして論理性のみが突出すると、問題のアプローチが一方向からだけになって、思考の飛躍ができない事があります。

 

別の気質である、行動性・共感性などを育てる事で、複数の視野が持てるようになります。

その方法として、海外旅行という行動力を求められる状況で、自分の気質を変化させるのなら意味があります。

 

しかしパリピっぽい人が海外に行ってパリピ属性を強化しても、視野を広げる事にはなりません。

むしろ落ち着きの無さに拍車がかかるだけです。

 

 

国内でも視野は広げられる

ネットや読書が中心の人が登山をするとか、サイクリングをするだけでも行動力・好奇心の気質は養えます。

 

海外の事例が知りたければ、別にネットがあれば調べられます。

生きた英語を勉強したいなら、オンライン英会話で東欧あたりの人を相手に話しても面白いです。

 

つまり、自分を高められる人は例え国内やネットの前でも高めていく事ができるのです。

海外に行かないと視野が広がらない、というのは全くの間違いです。