100万円というのは昭和生まれのわたしにとって、テレビのクイズ番組の賞金のようで、特別な思い入れがあります。
デフレ下では、何か偉業を達成しないと手に入らない金額という感覚でした。
だから自分の月給の額が100万円になった時は、年収1,000万円になった時よりも感慨深いものがありました。
わたしは営業ではなかったのでインセンティブはなく、役職に応じた給与テーブルで決まっていた通り、キッチリと月額100万円でした。
毎月クイズ大会に優勝したような生活の中身を書いていきたいと思います。
月収100万円の感覚
まず給与が100万円でも手取りは70万円ちょっとで、口座に入る時点で税金・社保で30万円近く引かれてます。
ビルの窓ふきのバイトをしていた頃、残業を多くやった月で25~27万円くらいの給料だったので、30万円引かれるのはかなりのインパクトです。
毎月でっかいゲンコツでお腹を殴打されて、30万円を持っていかれたような気分でした。
だからクイズ大会で優勝したような高揚感はなかったです。
毎月わたしは会社の人件費の計算をしていましたが、税よりも社会保険料の方が頻繁に上昇していた記憶があります。
憎悪の対象にされたような気分
税や社会保険に関連するニュースでは、当時年収1,000万円以上が高所得とされていました。
そういったニュースのコメント欄やSNSでは、
『金持ちからもっと取れ!』
みたいな言葉が並び、自分が憎悪の感情のハケぐちにされたような気持ちになりました。
30万円を取られて、その上で罵声を浴びせられたような理不尽さです。
妬まないことで月収が増えた
余談ですが年収200万円くらいの時に読んだ本には、他人が富むことを妬むと、自分が富む選択肢も選べなくなるとありました。
富に対して否定的な感情を抱くことで、無意識の内に自分の富も拒否してしまうのだそうです。
心理学的にも無意識の領域は無視できないものなので、わたしは妬みの感情を持たないようにしました。
そういった習慣を20代の頃から始めて、実際に資産を築いて40代でリタイアできたので、わたしには効果があったと思います。
単純に妬みのように不快な感情は、抱かない方が快適に暮らせます。
賞与は別の感覚
賞与の予算はどこの会社も企業業績に応じていると思いますが、わたしの会社はスマホゲームが当たってから大きく伸びました。
わたしの給料の100万円は基本給みたいなもので、その年の成果は賞与に反映され、多い時には1年分の給料を超えることもありました。
わたしの主な成果は業務改善によるコストカットでしたが、会社の規模が大きくなるほどに効果は大きく、収益構造に直結するので高く評価されました。
ただ賞与が多いと天引きされる額も大きくて、胸にポッカリと穴が開いたような気分になります。
わたしが会社の資金管理をしていたことも、賞与を喜べない理由の一つでした。
年に一回の賞与だったので全員分になると大きな額で、それが決算期の仕入分の支払いと重なるため、キャッシュフローが圧迫されて神経がすり減りました。
それに欲しい物がない中での賞与は、自分の口座の数字が増えるだけのイベントで、お祭り感はなかったです。
月収100万円の生活
基本は寝て起きて、仕事をして寝る生活です。
寝て起きて仕事の繰り返しだと、同じような毎日が過ぎていきます。
ある年の思い出は、1月2日の夜中に誰もいない通りを歩いて、ファミマに行ったことだけということもありました。
ファミマのせつない入店音と、レジ裏でしゃがみこんでいた外国人店員のことは、今でも記憶に残っています。
こんな地味なことが思い出になるくらい、プライベートでは何もありませんでした。
お金をうまく使えない
収入の内、税と社会保険が一番大きな買い物だと、そのために働いているような気持になってしまいます。
だから一時期、服や時計などのブランド品を買い集めていたことがあります。
ただ買い物が好きではなかったので、近所にデパートが沢山あったのにネット通販で済ませてしまい、イメージと違うものが届いたりしました。
海外ブランドの服ってやたらと袖が長くて、しっくりときませんでした。
しばらくはお金を使っていたものの、買い物の作業をストレスに感じたので、以降は給料の多くを貯金に回しました。
住まいは北欧の刑務所みたいなワンルーム
会社設立1ヶ月後くらいに借りた、8.4万円のワンルームにずっと住み続けていました。
山手線の内側のオートロック付きのマンションとしては、安い方だと思います。
部屋は完全にただの箱で、人権に配慮した北欧の刑務所にそっくりな作りでした。
社宅扱いだったので自己負担は2.5万円で、目の前にコンビニがあるのと、ゴミをいつでも出せるダストステーションが便利でした。
娯楽が散歩になる
たまに登山に行っていましたが、休日の朝にメールチェックをして何かが届いていたら中止にして、仕事をしていました。
山に行けなくても体が鈍らないようにと、夜に長距離の散歩をするようになりましたが、思い立ったらできる散歩の方が趣味の中心になりました。
その内に平地を歩くだけでは負荷が足りない気がしたので、足や体に重りをつけていって、トレーニング効果を高めました。
住まいは刑務所みたいなワンルームだし、見方によっては重りをつけられた囚人でした。
これを娯楽というのかわかりませんが、体を疲れさせてから休息することで、頭の疲れは緩和されました。
両立する能力が低い
お金を使うことは意外と意識を持っていかれて疲れるので、わたしは仕事と両立することができなかったです。
マルチタスクでないわたしにとって、お金を稼ぐのと使うことは真逆のベクトルに感じました。
だからどちらか一方を選ぶ必要があったので、わたしは稼ぐことを選びました。
何ごとも両立できないのは昔からで、仕事と収入が安定したら次は異性との交際だと思いましたが、いざ付き合うと仕事が上手くできなくなりました。
いろいろ経験してシングルタスクらしく独身を選びましたが、自分で決断したことなので不満はありません。
むしろ他人と一緒に生活をしていた時の方が我慢をすることが多かったので、一人で生きる覚悟を決めてスッキリとしました。
お金はリタイアした後で大きなメリットになった
40代でリタイアできたのは給料が高かったからですが、リタイア後の生活でより一層お金のメリットを感じました。
わたしは株式投資をしていますが、お金に余裕があることで安定した運用ができています。
コロナで暴落をした時に保有株が軒並み減配になり、配当収入が減りました。
含み損の株も増えましたが資金に余裕があったので損切せず、目減りした配当収入を補うために新たな株を買っていきました。
一年もしない内に株価が回復して増配も相次ぎ、結果的にコロナ前より資産が増えました。
これからアメリカの景気減速がありそうですが、そうなっても同じように株を買い増しする余力は残っています。
月収100万円を得た心境
活動家の人が
「働けど豊かにならないのは、社会の仕組みがおかしいからだ」
と言ったりしますが、わたしは異なる意見です。
わたしは仕事が続かず給料が安い時も、自分には才能があると信じて未経験の仕事ばかり選んで転職し続けて、適性のある会社にたどり着いて豊かになれました。
別に社会を変えなくても、勤め先を変えるだけで上手くいきました。
自分には才能があると信じていた気持ちが現実になったので、自己実現(理想の自分)が叶ったことにすごく満足しています。
月収100万円というのは、わたしにとって成功したことを実感させてくれる数字でした。
月収は急に上がる
わたしは職を転々として、ネット広告の会社に入ってから自分の特性に気づき、月収が急に上がりました。
その一社前には、たまに蟹を食べさせることで給料の低さをごまかす変な会社にいました。
この会社ではことごとく裏目に出たわたしの特性が、次の会社では非常に使える能力として開花しました。
最終的にわたしが上手くできる仕事に辿りつけたのは、自分には価値があると思い続けたからでした。
誰かに決められた価値を受け入れるのではなく、自分の価値は自分で決めるようにすると、精神が安定するのでオススメです。
その精神の安定が経済力につながります。