ぼっちとキョロ充とは
ぼっち・・・孤独を恐れない人
キョロ充・・・常に他人と一緒に居たがる人
です。
キョロ充の充とは、充実の充です。
リア充(ハイスペックでリアルが充実した人)をキョロキョロ探して、寄ってくる人という事で、キョロ充と名付けられました。
キョロ充っぽい人は高校あたりから見られますが、最も活発になるのが高校より後の学校です。
彼らは一人になる事を、人生で脱落する事だと思っています。
だからぼっちのことを『自分より劣る存在』と認識しています。
ぼっちとキョロ充が社会に出て中年になった時、生き残っているのはどちらだったのかを書いていきます。
ちなみにわたしはぼっち側の人間です。⇒ 経歴
大学等でキョロ充が活発化する理由
高校までは部活や成績が共有されて、人のレベルが何となくわかります。
自分の実力がごまかしにくい環境です。
それが高校より上の大学等になると、あいまいでスペックがごまかしやすくなります。
その結果ハイスペックな人にすり寄って、そのスペックを背のりして自分のもののように見せるキョロ充が生まれます。
キョロ充という言葉で説明される前から
『わたし〇〇さんと知り合いなんだ』
と言って、他人の名刺で自分を説明するような、乗っかり系の人はいました。
ぼっちとキョロ充にわかれる
社会に出るのを意識する年齢になると、ハイスペックな人との差が出始めます。
この時に他人と線引きし、ゆっくりでも自分で努力をする人がぼっち気質の人です。
逆にハイスペックな人と同化しないと社会で埋もれるという、全てが相対的な価値観を持っている人が病的なキョロ充になります。
キョロ充は一人でいられない
キョロ充は何をするにしても、一人では行動しません。
常に一緒に行動する仲間を、キョロキョロと探します。
一人でいる時の彼らを見ると、迷子の子供のように見えます。
彼らは一人でいる事が不安でたまらないのです。
そして誰かを見つけると、大げさに騒いで友好をアピールします。
SNSがキョロ充を悪化させた
昔は
『ケータイの電話帳がパンパン』
がキョロ充のステータスでしたが、自分から言わないと人にアピールできませんでした。
それがSNSの登場でハイスペックな人との友人風の画像をアップできるので、彼らの興奮は絶好調に達してしまいました。
アップするネタのためだけに行動し、空っぽな行動に拍車がかかります。
キョロ充がぼっちを見ると、嬉しくなる理由
キョロ充というのは、全てが相対的な価値観で決まります。
他人と比較しないと、自分の価値を感じる事ができません。
他力本願な彼らにとって、『友人』のスペックが自分のスペックになります。
だから『友人』の数が少ないぼっちを見ると、自分の方が能力が高いと感じて、小躍りするほど喜びます。
キョロ充は一人で能力を高められない
キョロ充は自分のスペックを上げる代わりに、他人のスペックに乗っかって、手軽にレベルアップをはかります。
輝いている人の近くをウロチョロするだけで自分も輝くと思っています。
だからいつまでも自分自身のスペックは上がりません。
学生時代は実力がなくても雰囲気でごまかせてしまうため、キョロ充は全盛期を迎えます。
人間は一人の時に自己成長する
自分と深く向き合って、自己成長するには孤独が必要です。
スペックが低い時につきあえるのは、同程度の人だけです。
だから学生時代にスペック不足を感じたら、ひたすら一人で自分を高めていく事が重要です。
中年になってから学生時代の友人に救われたというケースは、あまり聞きません。
それよりも学校の話題から入ってマルチに誘われたとか、借金を頼まれたというマイナスの話しか聞きません。
ぼっちはかわいそうではない
キョロ充というのは相対的な価値観の生き物なので、必ずぼっちのテンションを下げてきます。
聞こえよがしに
「一人かわいそー」
などと言うでしょう。
キョロ充は他人の気分を害する事で、相対的に自分が幸せと感じる人間性です。
基本的にキョロ充は目立つ人に媚び、一人の人にマウントをしかけてくるところがあるように、あまり気持ちのいい人間性をしていません。
ぼっちとキョロ充が社会人になったら
学生時代にあいまいだった評価基準が、社会に出ると明確になります。
社会に出て最初の内は、キョロ充もボロが出にくいです。
キョロ充は他人を否定し、マウントをとってキョロ充的な戦い方をします。
否定一発で上位に立つやり方って、ネットのあちこちでも見る手法です。
仕事では勝ち馬に乗って、他人の成果なのに自分が関わった事を強調します。
背のり気質はここでも続いています。
しかし否定はすれど代案は出さず、自分で手を動かす事もできないキョロ充は、その内に実力の無さが知れ渡っていきます。
社会人キョロ充は、近くにいる人からの評価が低いという特徴があります。
社会ではぼっち出身が勝つ
わたしはぼっち型の人間ですが、社会に出て困った事はありません。
ぼっちは人間嫌いだと思われがちですが、そうではなく、気が合う人の範囲が狭いだけだと思います。
社会に出ると仕事が共通語になるので、自然と同じレベルの人と絡む事ができます。
キョロ充のように乗っかってこようとする人は、積極的に避けていました。
自分の能力を高めていたおかげで、キョロ充を避けても困る事はありませんでした。
付き合う人たちも、ちゃんと自分で仕事をする人たちでした。
ぼっち気質が現代は強い
会社で役職が上がっていって、付き合う他社の人たちもそれに準じたものになっていきました。
ぼっち気質でしたが、仕事ではチューニングの合う人とだけ付き合えばいいので、別に人付き合いに難儀はしません。
この付き合いの中で、キョロ充気質の人は一人もいませんでした。
皆ちゃんと、一人で自分を高めた結果、他の人と自然に相互補完の関係を作れていました。
わたしが気が合う人とだけ付き合ったからではなく、キョロ充気質の人は普通の社会では淘汰されて、別の世界にいるのだと思います。
一瞬だけ、元キョロ充っぽい人を見る事がありますが、自分で手を動かしたり考える事ができないので、すぐに消えていきました。
友達100人できるかなは小学校まで
小学校で沢山の友達と出会って、人間関係を学ぶのは有益だと思います。
バリエーションが豊富な方が、自分の気質の発達に役に立ちます。
だから
「友達 100人できるかな♪」
の歌を習わされたのだと思います。
友達至上主義の弊害
この友達教育の弊害が、キョロ充を産む事になりました。
とにかく友達がいる事が、無条件で素晴らしいという価値観です。
でも現実社会では、トモダチとかいうのが大学でマルチを広げたりするように、人間関係は無防備ではいけないはずです。
人の距離感を無視した
『強引なフレンドリーさ』
には、危険性がある事を教えるべきです。
友達の数がステータス
キョロ充気質の人って、他人のスペック頼りなので、常に人の間を渡り歩いています。
けど、その割にあんまり人に好かれていない印象があります。
個人で人材紹介業をしている人を見ましたが、色々なパーティーなどに参加して、ふかし(虚言)で大人物に見せて、ブローカーみたいな事をしていました。
隠しようのないうさん臭さが出ていたので、関りを持ちませんでした。
キョロ充が淘汰される理由
キョロ充の行動は、フットワーク軽く人の集まりに参加するなど、若い体力が原動力です。
ウソ臭いくらいにテンション高く騒ぐのも、若さに起因する気質です。
だから35歳くらいで陰り出して、自分の能力に頼ろうと思っても、空っぽなので何もない人になります。
一足飛びに他人のスペックを背のりしてきたツケが、この時にのしかかるので淘汰されていきます。
キョロ充の誤算
キョロ充というのは、比較的早い段階で人生のピークを迎えます。
しかし本人は
「20代でこんだけ知り合いが居たら、30代はどんな大人物になれるんだろう?」
という間違った計算をします。
キョロ充は知り合いが多くても、薄っすらと嫌われているので、常に知り合いがフェードアウトしていっています。
だから知り合いが増えるのではなく、入れ替わっているだけなのです。
若い時には許される
他人のフンドシで相撲をとるキョロ充でも、若い頃には大目に見られます。
将来、成長するかも知れないという期待込みで、甘めに受け入れてもらえます。
しかしそれにアグラをかいて、単に他人を都合よく使う軽薄な人間のまま30代半ばを迎えると、
『あのウサン臭い人?』
と呼ばれるようになります。
ぼっちと違って人としての核がないから、いつまでも薄っぺらいままです。
形を変えるキョロ充
『キョロ充』という生態が明らかにされてしまうと、他人の評価に敏感なキョロ充気質の者たちは、隠れキョロ充になっていきました。
ただ生態の基本は
自分のスペック不足を、他人に乗っかって手に入れる
という、他力本願のままです。
キョロ充はつまらない人
キョロ充は騒々しいので面白い人っぽく見えますが、よくよく知るとつまらない人間です。
流行のギャグを恥ずかしげもなく再現するのも、キョロ充タイプです。
わたしが若い頃にいたキョロ充は、テレビの影響をそのまま受けていました。
流行りのドラマの主人公の髪型・しゃべり方を、コピーロボットのように再現していて、すごく気持ちが悪かったです。
我が強くて騒がしいんだけど、そこに魂はなく、ただのポルターガイストです。
キョロ充はいても・いなくても変わらない人
キョロ充の人って、憑りつかれたように集まりに顔を出しますが、必須の人ではありません。
幕の内弁当の中で
『これ無くても変わんないな』
という具材が一つ・二つありますが、キョロ充がそれにあたります。
自分単体で発信をする内容も個性もないキョロ充は、いても・いなくても変わらないです。
キョロ充に嘲笑されようと、一人の時間に自分を高められた人が最後には勝ちます。
キョロ充の価値観
ある種の強迫観念を持った人は、自分一人で何かをするのが怖くてたまらないのだそうです。
幼少期に親に放置されて、失敗の経験を重ね過ぎた子。
あるいは親が干渉しすぎて一人でやる機会を失った子。
こういう子は成長しても自分に自信が持てなくて、自分の価値を外に求めるようになるそうです。
これがキョロ充の病理です。
社会人が付き合う人は、自然と同じレベルの人になります。
自分自身を高めないキョロ充は、歳をとるごとに付き合う人の質が下がっていきます。
だから最終的に個人力を高めたぼっちに逆転をされるのです。
