仕事で嫌なことがあった時、わたしは相手に抗議をしません。
怒り方がわからないというか、怒った後の終わらせ方がわかりません。
このあたり、育った環境や人格が影響していると思いますが、とにかく嫌なことを自分の中に溜めるだけでした。
そしてこらえ切れなくなったら、仕事から逃げだしました。
ですがこの行動パターンが、自分をより良い場所に引き上げてくれることになりました。
バイトで経験した嫌なこと
デジカメが普及する前のカメラはフィルムが使われていて、現像という作業が必要でした。
出版社やスタジオのフィルムを現像する会社で、集配係のバイトをしていた頃のことです。
ある大手出版社への集配では、普段は1階の受付でフィルムのやり取りをするのですが、ある時Aさんという男性の分だけ編集部に持ってくるよう指示がありました。
指定された編集部は初めて行く場所で、見渡す限り女性しかおらず、男性の姿がありません。
わたしは編集部にいる10人くらいの女性に向かって
「〇〇(現像会社名)です。Aさんに現像(フィルム)のお届けにあがりましたー」
と言いましたが、誰も振り向いてくれません。
無視がこんなに辛いとは・・・
最初は声が小さくて聞こえなかったのかと思い、少しボリュームを上げてもう一度言いましたが、同じように無視されました。
編集部の人たちは受け取りの際に代金を取られるのかなと思って、セリフを変えました。
「受け取りだけお願いできますか?」
ですが反応は同じで、言葉が宙に消えるだけでした。
「こちらに持ってくるよう言われたのですが・・」
何度言い続けても全員に無視されて、イジメられているような気持ちになってきました。
自分の存在を消されたような扱いを受けるのって、かなり辛いです。
それでも言い続けるしかなかった
現像の会社の事務所では営業社員と隣り合わせだったので、彼らがいかに努力をして仕事を取っているのかを間近で見ています。
時間に追われる雑誌の出版社では、指示の食い違いは大きく信用を損なうので、編集部に持って来いと言われたらその通りにしなければなりません。
受付に渡して帰りたかったのですが、営業のためにも粘りました。
わたしが受け取りをお願いしますと言う度に、すぐ近くの女性たちがバツが悪そうに顔を見合わせて苦笑いします。
編集部の入り口で言い続けた時間は10分もなかったと思いますが、体感的には永遠に感じました。
ようやく受け取ってもらえる
何十回目かわからないですが、受け取りをお願いしますと言い続けて、ようやく奥の方のデスクに座っていた女性が、目線をこちらに向けずに手を上げて、受け取りの意志を示してくれました。
席の位置的に、少し権限のある人だと思いますが、とにかく渡して帰ることができます。
編集部を出るところでちょうど男性が戻ってきて、それがAさんだと思ったので名前を確認して、届けたことを伝えました。
その時に編集部の空気がピリッとしたので、Aさんと編集部の人たちの間に何らかの確執があったのだろうと思いました。
それでも部外者の現像の小僧は巻き込まないでほしかったです。
少しだけ涙がにじみました。
後々のこと
雑誌は広告収入で成り立っているものですが、後にわたしはネットがメインの広告会社に就職しました。
そこでは取引先から、たまに雑誌の広告枠が提案されることがありましたが、広告効果の予測や結果の測定がしにくいので、わたしは殆ど扱いませんでした。
その頃にはネットの方が雑誌よりも広告シェアが大きくなっていて、雑誌の廃刊が続きました。
そしてわたしの年収は上がり続け、雑誌は衰退していきました。
無視された時にかんしゃくを起こしていたら、この結果まで到達しなかったと思います。
就職氷河期時代の記憶
就職が決まらずに辛い思いをした人が多かったと思いますが、そもそも就活から逃げていたわたしは、定期的にバイトを辞めて気力を温存していました。
無職になると夕方くらいに起きて、テレビ東京でやっていた三越デパートのレディース4という主婦向け番組を観てました。
前半こんな生き方でも資産を貯めて40代でリタイアできて、株主優待のカタログギフトでカニ缶を選べるようになってました。
営業での嫌なこと
土地活用系の営業をしていた頃のことです。
事業に使える更地を探して、土地所有者に借りる交渉をする仕事です。
賃貸住宅などの営業と違って、土地の所有者が建設費用を負担するものではないので、何かを売る営業より楽だと思って就職しました。
実際は競合他社があったり、土地の用途が決まっていたりで楽に契約が決まるものではないですが、のらりくらり続けていました。
ある土地所有者に、会って詳細を説明することになりました。
朝早めの時間を指定されて、電車が不便な大田区の奥地の、更に駅から遠い家まで行きました。
変な芝居に巻き込まれる
私が家に行って会社名と名前を名乗ると、しばらくして玄関の外に高齢の女性が出てきました。
土地所有者だと思って挨拶をすると、女性が家の小窓の方を見るので、私もつられてそちらを見てしまいました。
するとそこには本当の土地の所有者の老婦人が居て、苦々しい顔をしながら手と顔を振って、女性にダメというサインを送っているところでした。
つまりお手伝いさんを身代わりにして私の様子を見て、品定めをしていたのです。
追い返される
本当の所有者は私と目が合うと一瞬『ヤバイ』という顔をした後で、それを誤魔化すために余計に高圧的な態度で外に出てきて、強い口調で「大事な話をしに来たんじゃないの!?」と言ってきました。
お手伝いさんへの挨拶の時に数秒くらい天気の話をしたと思いますが、何が悪いのかよくわかりませんでした。
それでも私は「ご説明にあがりました・・」と続けようとしましたが、「あーいい。帰ってちょうだい!」と言われて追い出されました。
大田区まで時間をかけて行って、滞在時間が1分くらいで追い返されてしまいました。
ストレスで体が凍り付く
帰りの電車に揺られながら、自分の何が悪かったのかいろいろ考えました。
容姿で怪しまれた経験はないし、知らない人に道をよく聞かれるので、自分はあまり警戒心を抱かれない方だと思っていました。
当時はまだオレオレ詐欺やアポ電強盗の類は無かったですが、私は若くて子供っぽい印象があったので、それが老婦人の何かにひっかかったのかもしれません。
資産家が事件に巻き込まれる事はままあるので、警戒心を持つのは良いのですが、小芝居を打つならもう少し上手にやって欲しいです。少し涙ぐみました。
私は暴言を吐かれたりするより、こういった扱いの方が存在を否定されるようで傷つきます。帰る電車の中でずっと、血の気が引いた状態でした。
強いストレスだと体が熱くなるより、寒くて震えてしまいます。
不満は自分の境遇に向ける
わたしは嫌なことがあった時に、相手を憎む気持ちよりも、自分が置かれた境遇から逃げ出そうとする気持ちが強くなります。
それまでの転職歴から、今より下の環境に逃げればもっと苦しい事がわかっているので、強烈に上に行くモチベーションがわいてきます。
バイトで出版社に行って嫌な思いをした時は、フリーターから卒業して、初めて正社員になるための就活をしました。
営業で嫌な思いをした時は、会う相手を自分で選ぶことができる仕事に転職しました。
嫌な人が人生を前に進ませてくれる
自分の半生を振り返ると、人生が少し停滞したあたりで嫌な人に遭遇して、ストレスに打ちのめされた後で次のステップに進めたことが多かったです。
多分、嫌な人というのは、遭遇した人のやる気を引き出すために存在しているのだと思います。
「こんな人間に絶対に負けてなるものか」という闘争心が、自分を成長させてくれるのだと思います。
わたしはいろいろと我慢し続けた結果、今は嫌いな人に会う必要がなくなりました。
いいと思った会社に投資したり、関わる相手選びの主導権はわたしにあります。
嫌なことに飲み込まれなければ勝ち
嫌なことがあって性格が歪み、自分が嫌なことをする人になったら負けではないでしょうか。
いつも謙虚で接した人に良い印象を与えれば、それが時間をかけて自分の利益となって戻ってきます。
わたしの経験では、どうしても嫌なことからは逃げても大丈夫でした。
自分の人格を守り、嫌な性格にならなかったおかげで豊かになれました。