苦手な事から逃げ続けた結果

社会人

このブログでは、様々な選択の結果を書いています。

読者の方には実験データとして活用していただければと思います。

わたしの経験の中で突出しているのが、挫折の少なさです。

 

これはわたしの能力がズバ抜けていたわけではなく、苦手な事から逃げ続けていたからです。

自尊心を温存した結果、自分を大切にする選択をし続けられました。

高校受験から逃げた

最初に挑戦から逃げた経験は、高校受験でした。

わたしはどうやっても合格する、偏差値40台の高校を選びました。

 

 

この頃は壁を這い上るナメクジより、頑張ってなかったと思います。

偏差値が低い普通科を選ぶと単に頭が悪いとバレてしまうので、ごまかしがきく商業高校に進みました。

さらに無試験で進学

商業高校なので就職する生徒が結構いましたが、わたしは社会人になる勇気が無かったので進学を希望しました。

かといって試験勉強は苦手だったので、特別な努力は何もしませんでした。

 

そこで成績が5段階評価中3.5くらいあれば推薦で入れる専門学校を選びました。

試験はなくて、学校に手続きをしに行くだけで入れました。

 

 

情報処理系の専門学校でしたが、行く意味が全くない低レベルな学校でした。

現在のプログラミング系ブログやyoutubeで勉強した方が、確実に身になります。

 

また就職から逃げる

 

学校を卒業する年になっても、就職氷河期が全然終わっていませんでした。

それに専門学校の就職支援室に貼ってある求人が、情報処理とは無関係の学生バイトがやるような仕事ばかりで、どれもやりたくありませんでした。

 

面接の練習とかも受けることなく、新卒の就活を経験しないまま卒業しました。

卒業式さえも出ず、後で証書を取りに行きました。

ちなみにこの専門学校は後に倒産したのですが、わたしの最終学歴は高卒になるのでしょうか?

 

バイトでも絶対に採用されるものを選んだ

過去に春休みのバイトか何かで、一度だけ不採用になった事があります。

それがショックだったので卒業してフリーターになった時、絶対に採用されるバイトを選びました。

 

交通誘導とか運送会社の物流センターの仕分けとか、即日採用されるところばかりです。

 

 

しかし即採用されるのは人の入れ替えが多いからで、独特の過酷さがありました。

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ここでも苦手な事から逃げる流れに逆らわず、自然に辞めていきました。

バイトを辞めたら貯金が続くまでニート生活に入っていました。

 

資格試験からも逃げる

わたしは学歴が弱いので情報処理系の資格を取ろうとしましたが、1回の不合格で逃げました。

資格はあればいいと思いますが、試験範囲に無駄な部分が多すぎです。

 

2進数から8進数に手計算で変換するとか、仕事で使った事がありません。

 

 

試験は半年に1回しかなかったので、合格するのを待っていたら就活が延び延びになってしまいます。

1回の不合格で諦めたのは、懸命な判断でした。

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試験の方が悪いと考える

自尊心が高かったので、不合格になった時に「これは試験が悪い」として、自分の道を進むことができました。

システムは設計とプログラミングが最重要だと思っていました。

 

もっと言えば人の手でやっている作業を見て、システム化を考えられる発想が最重要です。

後はそれを形にできる程度のプログラミングの知識があれば、仕事にできました。

 

自分の価値を資格で決めず、自ら作り出しました。

 

自尊心MAXで就活を始める

フリーターの職歴は警備員とかビルの窓ふきとか、デスクワークに関係のないものばかりでした。

 

 

 

それでも腰が引けることなく、システム会社やネット系の正社員の仕事を探しました。

これはニート生活をしている時に筋トレをしたり、ありあまる時間で読書をしまくったからです。

 

これまで挫折の経験が殆どなかったので自尊心がMAXの状態で、更に読書や筋トレで自己肯定感がバッキバキに高まった状態でした。

 

 

 

システム会社に入る

今考えると大したシステム会社ではなかったですが、それでも面接と筆記テストがありました。

まだ就職氷河期が続いていたので、採用率は2割程度だと思います。

 

合格したのは、自信満々の態度で経歴の弱さをカバーできたからです。

フリーターの期間は、一度だけシナリオ大賞に応募したので、作家を目指していた事にしました。

 

この会社も半年程度で辞めてしまいましたが、職歴に入っていたおかげで、後に適職となるネット広告の会社に入る事ができました。

 

逃げ続けたおかげで精神力が有り余っていた

ニート中に様々なジャンルの本を読んだ中で、戦争に関するものが意外と役に立ちました。

会社組織は軍隊を模したものだし、他社との競争は疑似的な戦争と同じです。

 

戦争では逃げて兵力を温存して、別のルートから反攻して状況を変える戦略があります。

逆にヒトラーが「踏みとどまって戦え」と厳命した結果、戦線が大きく崩れた戦いが印象に残っています。

 

 

長い社会人生活の中で、逃げの選択というのはごく自然な事です。

 

苦手なものを自分の前から消し去る

わたしは土地関係の営業会社の経験もあるのですが、電話が苦手なのに電話営業の仕事があり、周囲に聞かれるのが嫌で応接室でやっていました。

 

 

すぐに上司に見つかってメチャクチャ怒られましたが、その後も苦手意識はなくならず、電話営業の時は心の中で『つながるな!』と祈りながらかけていました。

 

それから月日が経って共同でITの会社を立ち上げた時、秘書代行サービスを使って電話の受態さえもなくしました。

これは効率化に効果があり、HPに代表電話を記載しない会社が増えてきた昨今の風潮を見ても、正しかったと思います。

 

精神力を温存していたおかげで十分に仕事ができた

ネット広告の会社に入ってからは、有り余っていた精神力を使いました。

それまでの人生の遅れを取り戻すために、定時退社は意識しないで、土曜も仕事にあてていました。

 

だから外部の会社から連絡が来たら、即対応して仕事を進める事ができました。

 

 

それがわたしに対する信頼感になり、業界内でヘッドハンティングされるようになりました。

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最後に逃げなくなればいい

会社を移るとまず、業務改善から着手する事が多かったです。

周囲の社員が品定めする中で、自分の能力を見せなければなりません。

 

それまでの社内のワークフローを変えて、自分のデータベースを稼働させる時が勇気のいる瞬間です。

 

稼働させると予期せぬ不具合が出たり、社員の誰かしらがトリッキーな使い方をするものです。

ですが稼働させても軽いトラブル程度で、コントロール不能になるほどではありませんでした。

 

能力が上がってから踏みとどまればいい

わたしの場合は自分の能力が上がるまで、逃げ続けたことで致命傷を受けずに済みました。

苦手な場所に踏みとどまっていたら、仕事に対して苦手意識が植え付けられていたと思います。

 

ここぞという場面がくるまで撤退を繰り返し、最後の最後で一気に仕事をした感じです。

苦手分野は克服せず、得意分野に一点集中して上手くいきました。

 

それで大企業平均より多くの年収を得て、自社株を持たせてもらったりして、逃げていた頃の収入の少なさを巻き返すことができました。

 

苦手分野の克服って、したことあるっけ?

わたしは苦手分野の克服をした記憶がありません。

英語も話せないままです。

 

 

得意分野を伸ばす労力が1だとすれば、苦手分野の克服には3~5くらいかかる気がします。

しかも克服しても人並みになるくらいでは、強みにはなりません。

 

逃げた事で自分を責めている方は、力の配分を変えたと前向きにとらえてはいかがでしょうか?

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