ガリガリガリクソンというニート芸人の名言で
「お母さんが悪いんじゃないよ 社会が悪いんだよ」
というのがあります。
これが面白いと思うのは、聞く人に自罰的な人が多いからだと思います。
わたしは年収200万以下~1000万円超までいきましたが、自分の能力自体はそんなに変化がありません。
だから
「年収が低い事の半分は、仕事が悪い」
と思っています。
きつい仕事というのはあって、経験を積んだ今のわたしでも、上手くできないです。
一つ言えるのは
『きつい仕事ほど稼げない』
という事です。
第一位 警備員のバイトがきつい
若い頃、ある天下り施設の警備員をやっていました。
雇われていたのは警備会社で、そこの契約先の一つです。
警備員なんて立ってるだけで、余裕の仕事かと思うのではないでしょうか?
わたしもそう思っていました。
ですが、このバイトをやっていた期間が一番、睡眠ができませんでした。
夜に寝入って、小一時間ごとに起こされると、脳がバグります。
起きても色々な機能が働かないので、幽体離脱しているようだったり、意識が飛びそうになります。
ソ連(現ロシア)の情報機関は、こうして尋問をしていたみたいです。
それほどきつかったです。
24時間勤務で睡眠ほぼナシ
どうしてそんなに眠れないかと言うと、施設を利用する研修生が飲みに行って、門限を守らないためです。
早朝の4時・5時まで、断続的に帰ってくる状態でした。
施設の入り口に鍵がかかっているので、その度に仮眠中の警備室のドアをノックされます。
だから未だにノックの音を聞くと、ビクッとなってしまいます。
仮眠を起こされても残業代は発生しません。
改善のしようがない
その施設は、天下りに金が回るように作られた、無駄な研修施設でした。
全国の業者に研修の義務を課して集めて、泊りに来させるので、研修生も不満を持っています。
その不満と言うのは、末端の警備員に回ってきます。
既得権益で儲ける人と言うのは、いつも不満を受けるための要員を置きます。
研修生は短期で入れ替わるし、施設側も金ヅルの研修生の方が大事なので、特に改善はしません。
だから毎回、眠れませんでした。
教訓としては、以降の仕事選びで
『天下り関係には近づかない』
という事でした。
関連:〇施設警備員のバイトを辞めた理由
第二位 物流センターの仕分けはきつい
肉体的にはダントツのキツさでした。
ただ、一日で飛んだ(辞めた)ので、きつさ的には二位にしました。
もし連続で勤務していたら、多分一位になっていました。
歳をとってからやっていたら、腰を壊していたと思います。
キツさの理由
最初にやったのは、
10トン車から荷物をレールに乗せて移動するだけの、簡単な仕事のはずでした。
しかし、レールから別のレールへつながる連結部分が壊れていて、段差がありました。
この段差を乗り越えるために、中腰の姿勢のままダンベル運動をするような事になりました。
車から最初のレールに降ろすのがドライバーで、ここを二人でふたりでやられると、レールの連結部分で持ち上げる速度は、ダンベル運動以上になります。
ドライバーは持ち上げずに、ボンボンと降ろしていく感じです。
ジムの運動は限界が来たら止められますが、この作業は終わりがありませんでした。
交代したら悲鳴が聞こえた
同じような作業は隣のレーンでもやっているのですが、持ち上げる作業は連結部分が壊れた、わたしのレーンだけでした。
それでも仕事から脱落しそうなのは、自分の能力が低いせいだと思って、一生懸命やりました。
荷物が少なくなってきて、わたしがトラックの中で荷物を押す係になって、別の人が連結部分につきました。
するとすぐに、
「もう流さないで!」
と悲鳴が上がりました。
その部分は、誰がやってもきつい仕事なのだと、妙に安心しました。
きつい仕事って、不具合の部分が放置されていることが多いです。
仕分けもよくわからない
レールの作業の後に、地域ごとに仕分けて置く作業もよくわかりませんでした。
目印が貼ってありますが、置き場所を変更する前のもので混乱しました。
明確な置き場所が決まっていないため、荷物を持つたびに迷いました。
このウロウロする時間が、
『自分は何て無能なんだ』
と思うつらい時間でした。
トヨタの自動車工場は、工具の形が置き場に書いてあって、一目でわかるようになっています。
以降に就いた仕事で業務を作る時は、トヨタ型を応用しました。
作業を教える人がいない
荷物の置き場所に関しては、目印がないので初見ではわかりません。
教えてくれるのは、その物流センターに先週入った人とか、それくらいの先輩です。
この人の教え方が、正解ではなく
『それ違う』
としか言わないやり方でした。
最後まで規則性を発見できずに、バイトが終わりました。
指がちぎれそう
仕事が終わって腰もバキバキでしたが、一番印象的だったのは、指がちぎれそうに感じた事です。
その後の給料が安い仕事でも感じましたが、給料が安い仕事って指先が酷使されます。
1年くらいで指先が取れるんじゃないかと思いました。
そんなわけで二日目のバイトは入らずに、そのまま辞めてしまいました。
以降は、
『あの仕事には戻りたくない』
という気持ちをモチベーションにしました。
関連:〇仕分けのバイトをわずか1日で辞めたというか、飛んだ話
第三位 偽装請負みたいなシステム会社
フリーターを上がって初めて就職した、システム開発会社です。
ただ実際は偽装請負みたいなもので、客先で作業をさせられる、派遣みたいなものでした。
たまに会社で作業をする時に、上司にあたる人に、毎回のように絶叫されました。
パワハラという概念は、まだなかった頃の話です。
中途入社で同期もいないし、誰にも質問できない状況が続きました。
きつい仕事場には、変な人がいる。
すぐに絶叫する上司ですが、たぶん変な人だったのだと思います。
元々、感情の抑制が壊れていて不安定な上に、あまり向いていないエンジニアをやっていたので、すぐに脳がスパークして叫び声を上げていたのだと思います。
後々の会社で、あまりいいエンジニアが採用できなかった頃に、すぐに大声を出す人がいました。
段々といいエンジニアが採用できるようになると、変な人はいなくなりました。
デキの悪いドラマだと、SEとかは変人に描かれますが、優秀なエンジニアは論理性が高いので、おかしな事はあまりしません。
質の悪い仕事
その会社の仕事は、どれも質が悪い仕事ばかりでした。
初めての就職だったので、あまりよくわかりませんでしたが、後々にITベンチャーで経験を積んだら、質の悪さがわかりました。
あまり儲からないから他社がやっていないような仕事を拾って、メインにしてやっているような感じです。
ITはパソコンさえ並んでいたら、会社がそれっぽく見えてしまいますが、その実は内職を集まってやっているみたいな会社もあります。
今もその会社は残っている
調べると移転したもののまだあって、相変わらず夢も希望もない業態で、細々と存続していました。
多くの若者の夢を飲み込み、なんとなく存在しています。
こういうところに引っかかっても、人生はお終いではないです。
失敗は嫌なものですが、そういうものほど、失敗の原因を詳しく見ていった方がいいです。
関連:〇会社を半年で辞めた人の末路
失敗は事故調査委員会のように分析する
航空機の墜落で、事故調査委員会が作られます。
彼らはものすごく細かく原因を追求し、まるで河川の源流で最初の一滴を見つけるように、失敗を突き詰めます。
そして二度と同じ失敗が起こらないよう、穴を埋めます。
失敗した仕事経験のおかげで、最終的には自分に合っていて、お金が稼げる仕事に就けました。
この世にきつい仕事が存在する理由って、踏み台以外にないと思います。