学校で
『お友達を沢山つくりましょう』
という教育はされましたが、実社会に出てからは
『実りの無い人間関係を断ち切る』
という捨てる作業が必要でした。
わたしはダメな人に関わって、貧しくなった経験があります。
社会には人の善意を吸い込む、ブラックホールみたいな人はいます。
そういう人と悪縁があった時は、貯金が毎月2桁減っていく生活になりました。
この頃は自分がどんなに努力をしても、経済状況が改善しませんでした。
それが悪い縁を切った途端に、経済的にも精神的にも一気に楽になりました。
それまでもわたしは他人の問題を持ち込まれることが多く、分け隔てなく解決していました。
しかしお礼をしてくれる人と、次も都合よく利用する人に分かれたので、常識がない人は相手にしない事にしました。
ちゃんと「助け合い」の関係になる人とだけ良縁を結び、わたしは自分の能力以上に仕事の成果が上がりました。
努力をしているのに人生が向上しないという人は、悪縁を引きずっている可能性があります。
人と知り合うのと同じくらい、縁切りは重要です。
縁を切る重要性
『とにかくお友達を作るのが素晴らしい』
というのは、小学3年生までです。
幼少期に様々なパターンの人を知るのは、意味があります。
けど大人になると、徐々に害悪でしかない人格を持った人が出てきます。
こういう人との縁を切る事で、人生に不必要なハンデを抱えずに済みます。
害になる人を初めて知った経験
小三・四くらいの頃、関西からとんでもなく恐ろしい6年生ががやってきました。
何かあると
「どたま(頭) カチ割ったるぞおおおおっ!」
と怒鳴りながら、それまで学校では見た事がなかったくらい怖い、赤鬼みたいな顔で児童を追い掛け回します。
生命に関わる危機というのを、初めて知った子供が多かったと思います。
結局、ひったくりをしたとかで学校から姿を消して、再び平穏を取り戻しました。
いまだに『憤怒』という言葉で思い浮かべるのは、その6年生です。
悲しいですが地獄育ちで災厄みたいな人間というのは、わたしたちの隣に確かにいます。
害になる人は富を奪う
社会に出て知ったのは、どうにかして得をしようと必死な人がいるという事です。
自分の身の丈以上の生き方をして、そのツケは他人におしつけます。
わたしはこういう人との関りがあった頃は、せっかく貯金したものがあっという間になくなってしまいました。
貧乏神のように、近づくとロクな事にならない人はいます。
▼縁を切る時、逃げた経験
縁を切るべき人
ザ・ノンフィクションを見て感じるのは、人と対話する事が、必ずしも正しい訳ではない事です。
ダメ系な家族が、頻繁に家族会議をして
『家族の絆を確認』
みたいにまとめようとしますが、結局はいい知恵が出ないで同じ問題を繰り返します。
ダメな人が集まっても、やっぱりダメな知恵しか出てきません。
そこから抜け出すには、悪縁を断ち切るしかありません。
大声を出す人は、大体ダメな人というのが持論です。
感謝の念がない人
感謝の念がない人というのは、付き合って腹立たしいだけではなく、没落していく人だから縁を切っておいた方がいいです。
『ありがたい』
と感じる事ができない人は、いつまでも満たされない気持ちを抱き、他人に求め続けます。
認知が歪んでいて周囲の反感を買うだけなので、没落していきます。
そういう人の重荷を、あなたが持つ必要はありません。
没落していく人はそれまでに十分、ズルく得をしてきた人です。
善良なのに人生が向上しない人は、他人の可哀そうな姿に反応して、不要な荷物を抱えている事が多いです。
嫌な人間のことを知れば、可哀そうに思う事はなくなります。
語る内容と身分が合っていない人
例えば、人生の選択肢を全部ミスしているのに、
『失敗を知っているから、人の痛みがわかる』
と言って、選挙に立候補するようなタイプがいます。
失敗ばかりの人なら他人に教えを乞うべきなのに、逆に教える立場になろうとします。
こういう頭のボタンが掛け違った人は、近くにいるとトラブルに巻き込まれます。
人生の失敗の恥ずかしさをごまかすために、あなたにマウントをとるでしょう。
縁を切るというのは、人生のもらい事故を防ぐ方法でもあります。
低レベルな職場の人と縁を切る
振り返ると低レベルな職場の人から教わった事で、後に役に立ったことは一つもありませんでした。
この会社では先輩社員に細々とした負担を押し付けられて、結果わたしのボーナスはたったの3万円でした。
それに毎日サボることしか考えない人達ばかりで、学ぶことは何もなかったです。
優秀な人と接する事で、見取り稽古のように彼らのエッセンスが自分に入ってきます。
もしも参考になる人が職場に居ないなら、読書の中から優秀な人のエッセンスを取り込んでください。
わたしはこの方法で低レベルな職場との悪縁を切り、ステップアップしていく事ができました。
⇒ 経歴
良縁と悪縁の違い
わけへだてなく、さきにGIVE(与える)をしてきました。
人生で何度もそういう事をしていたら、2種類の人がいる事がわかりました。
一つは、後に恩を返してくれる人です。
もう一つは、更にTAKE(もらう)を求める人です。
こういう、TAKEだけを求める人が悪縁です。
与えると、もっと求めてくる人
基本的にGIVE(与える)は、見返りを求めないものです。
しかし良縁になる人は、勝手に恩を返してこようとします。
そしてGIVEの循環が起こって、その過程で利子がつくように膨らんでいって、相互利益の関係性になります。
この良縁を増やす事で、わたしは資産を築くことができました。
反面、悪縁があった時は、貯金を数分の一に減らされた上に、嫌な気持ちにさせられる事ばかりでした。
悪縁というのはブラックホールのように、あなたの人生の良い物を吸い込んでいってしまいます。
あなたが誰かのためにする行動を、相手を選んでやるだけで人生は変わってきます。
自分に優しくなるべき
お金を貸してほしいとか、面倒を見てほしいという人を切れない人は、他人の問題を自分のことのように感じてしまう人です。
縁を切る事に、罪悪感を覚えてしまいがちです。
ですが優しくするなら、まずは自分自身に優しくなるべきです。
悪縁の人というのは、お人好しを見つけるセンサーが優れています。
それが彼らの生きる術ですから。
普段から他人に何か言われやすいとか、嫌な目に合うという人は、そういうオーラが出ています。
他人に利用されやすいという事なので、人一倍縁切りを意識してください。
縁を結ぶ基準は、能力ではなく善良さ
自分にプラスにならない人は切るべきですが、
『無能な人はメリットがないから付き合わない』
というわけではありません。
能力が低かったとしても、善良な人は後に恩を返してくれようとします。
悪縁を切らないと、新しい縁は入ってこない
人付き合いを維持できる数は、限られています。
野球のベンチみたいに、座れるメンバーは入れ換えないと、新しい縁は入ってきません。
特に内向的な人は付き合える数は多くないので、一人当たりの質を求める必要があります。
悪縁だと思ったらフェードアウトして、ベンチの空きを作って良縁が入れるようにしておきましょう。
縁を切って批判されたら
縁を切って相手や第三者に
「心が狭い」
と非難されても、罪悪感を覚える必要はありません。
そんな言葉をあなたに浴びせる人間の方が、心が狭いのですから。
彼らは他人に罪悪感を植え付けて、言うことを聞かせようとする習性があります。
まともにとりあわず、「あっ、はい」と適当に返しておけば大丈夫です。
毒親と縁を切る
毒親に依存されて人生が摩耗しているのに切れないのは、自分の心の中に生まれる罪悪感のせいです。
依存体質の人は他人の良心を人質にして、要求を通そうとします。
彼らは人並みにできないことが多いですが、他人に依存することだけは得意です。
そんな毒親を切れない人は、子は親の面倒を見なければいけないという呪いにかかっているので、考え方を変えるべきです。
生物が子を生むのは子孫繁栄のためなので、子が幸せになることが親への恩返しになります。
それを喜ばないのであれば親ではありません。
ありがとうと言って離れる
依存体質の人は自分を弱々しく見せて、面倒を見なかったら相手が罪悪感を抱くような演出をします。
彼らの演目に乗らないように、こっちはこっちで別の演目で対抗します。
毒親から離れる時は、上京する電車から別れを言うシーンのように、「ありがとう!ぜったい幸せになるから」と言えばいいのです。
何を言われても「幸せになるのが恩返しだから」で通せばいいのです。
それが本来の親子の姿です。
どんな相手であろうと依存してくる人を切り、自分の人生を大事にしてください。