恨み・妬みで貧しくなる理由

お金の不安をなくす

 

現代社会に生きていると、恨みとか妬みを理解できないものとして、片づけてしまいがちです。

 

理解できないものは、オカルトだとして笑い飛ばしてしまう裏には、わずかな恐れはないでしょうか。

 

とはいえ、社会人としてお金を稼ぐ事が第一だと思うので、実社会で恨みや妬みを観察した結果を書いていきます。

 

わたしは人を押しのけられない性格だったので、恨みを抱く側の立ち位置からの観点です。

結論を先に言うと恨み・妬みはオカルトではなく、貧しくなる原因の一つです。

 

恨みを抱いて、良い事は何もなかったです。

 

恨みと妬みで貧しくなるメカニズム

 

まずわたしが社会で経験した恨み・妬みのレベルは、事件ではないレベルのものです。

 

学校や会社で経験するレベルのものですが、それ故に誰の身にも起こりえる事です。

恨みを買う側と恨む側、双方の人間を長期観察した結果です。

 

恨みの結果は、5年10年では出ない事があります。

 

この時に、何か悪いことをして恨みを買った側が無事なのを見て、

 

『悪いことをしてもバチなんか当たらないじゃないか』

と思うかも知れませんが、15~20年経つと違います。

 

まずは人に嫌なことをして、恨みを買った側について書きます。

 

恨みを買った側の末路

 

わたしが以前に居た会社で、業者からキックバックを受けているとされていた責任者がいました。

 

それだけでなく、若い頃に『ヤンチャ』をしていたという事で、武勇伝みたいなものも聞かされました。

 

その中で、武勇伝というよりも相手を追い詰めて破綻させた話も聞かされました。

その人は悪知恵が働き、ウソも平気でつけるところがあり、逃げ場を無くして追い込んだであろうことが想像できます。

 

わたしが一緒に仕事をしていた時はその人の絶頂期で、何もかもが上手くいっているように見えました。

 

その人が高級車に乗り、水商売の店にも通う姿を見てわたしは

 

『罰なんて当たらない』

と思ったものです。

 

数年後にバチが当たる

 

 

わたしが会社を辞めて数年後に、その人が会社から退場した事を聞きました。

 

法的にどうとかではなく、ある事情で働けなくなった上に、再就職も難しい状態になりました。

その会社には他にも同じようなワルの社員が居て、その人も強制退場させられました。

 

ちょっとバチの内容はボカしているので、読んでいて歯がゆいかも知れませんが、確率的にはあまり起こらない事です。

 

彼らが若い頃からワルさをしていたので、それから20年経ってバチが当たった事になります。

人に対する悪事は、質量保存の法則が働いているかのように、確実に戻ってきます。

 

悪いことをした側が罰を受けるのはわかりますが、恨んだ側も不幸になるのはなぜでしょうか?

 

 

なぜ恨んだ側も貧しくなるのか?

 

人を恨むというのは、ものすごくエネルギーが必要な事です。

 

頭の中の多くのリソースを費やされて、自分の地位向上に向ける行動が取れなくなります。

前述の通り悪い人間が罰を受けるまで、時間がかかります。

 

10年20年と相手を恨むうちに、自分の人生の時間が無駄に進んでしまいます。

 

他人の不幸を望むと、自分が不幸になるメカニズム

 

他人の不幸を喜ぶと、それが自分にとっての快だと認識するようになります。

 

例えば、誰かが大損をするのを喜んだとします。

そうすると『損失』というのが快として強く頭に焼き付いて、無意識のうちに自分も損をする選択を選ぶようになってしまいます。

 

負の感情などと言われますが、一つの感情ばかり多用すると、それが性格となって固着します。

恨みの感情に自身が飲み込まれるというのは、十分にあり得ます。

 

恨み > 受けた被害

 

誰かから被害を受けたために、恨みを抱くものだと思います。

 

ただこの恨みの念が、受けた被害よりも大きくなる事はないでしょうか?

わたしは『恨みのメカニズム』を考えましたが、どうも普通の争いの定義が当てはまらないような気がします。

 

普通の争いは

 

・先に手を出してきた方が悪い
・一回は一回でお返しをする

 

みたいな概念が何となくあります。

 

しかし何かをやられて恨みを抱く場合、そのエネルギーは受けた被害と等価でないと、恨みを抱いた側が加害者となってしまうのではないでしょうか。

 

わたしはITの世界で働いて、デジタルで数値化する習慣がつきました。

そのために恨みというのも、エネルギーの値があるのではないかと感じています。

 

 

人を呪うと

 

『人を呪わば、あな(墓穴)二つ』

昔からの言葉で、誰かを呪えば相手と自分の二つ分の墓穴が必要になるという意味です

 

仕事場では技術革新が早いので、古い言葉が当てはまらない事が多いです。

しかし人文学の分野では、古い言葉でも当てはまる事が多いです。

 

例えば風水で、

『玄関を開けたらトイレが見えるような間取りは、運気が落ちる』

と言われています。

 

これは庶民に普及しやすいよう、『運気』という言葉にしてありますが、本来は衛生学上の知恵だと思います。

 

現在でもノロウィルスなど排泄物を媒介にした病気がありますが、玄関のように人の通りが多い場所の近くにトイレがあるのは、避けるべきです。

 

これを広めるために、昔の人が信じやすい、迷信めいた言葉を使ったのではないでしょうか。

人を呪わば穴二つも、恨みの念で自身の人生を壊してしまうことを、わかりやすく説明した言葉だと思います。

 

妬みで貧しくなる理由

 

例えば誰かが真っ当な方法で収入を得ているのに、妬みの感情を抱いたとします。

 

そうすると、自分が富むことを否定することになり、収入が減ってしまいます。

妬みの行動は、自分に呪をかけるようなもので、絶対にやめなければいけません。

 

他人の富を祝福するような心の余裕が、お金に好かれるコツです。

お金は人にくっついて循環するため、人と良く似た習性があります。

 

恨みを抱く前に逃げる

 

わたしも、恨みを抱きそうな状況になった事があります。

 

二十代半ばまでフリーターをしていて、周囲の人に進路を心配されていました。

就活をして1社に採用され、親戚から就職祝いをもらったりしました。

 

その会社で、毎日罵声を浴びせてくる人がいました。

パワハラという言葉が無かった頃で、そういう行為が容認されていました。

 

若干の葛藤はあったものの、傷が深くなる前に会社を辞めました。

 

エネルギーを自分に使う

 

人を恨む時って、延々とエネルギーを注ぎ込めませんか?

 

わたしが会社を辞めた時、パワハラ社員を恨む代わりに、許す事にしました。

許すという行為は王が泥棒を許すかのように、権力が上の人間にしかできないことです。

 

過去の亡霊を殴ろうとしても、触れる事はできません。

だから恨みの気持ちと共に、パワハラ社員を自分の心から放逐することにしました。

 

当時の記録を見ると、パワハラで退職してから半年ほど後に再就職をしています。

傷を癒すための時間が必要でしたが、恨まずに精進していました。

 

10年後に復讐できていた事を知る

 

パワハラ退職から10年ちょっと経ち、わたしはベンチャー企業の役員になっていました。

 

多くの社員の査定を知る立場だったので、パワハラ社員の会社の給料も大よそ見当がつきました。

 

その額はわたしの役員報酬より少なく、会社で吠えていた彼は破滅しやすいであろう事は、人員管理の観点から予想できました。

 

わたしの方がパワハラ社員の上司のような視点にたち、分析をする事ができました。

絶対的権力だと思っていたパワハラ社員と、地位が逆転していました。

 

 

恨みを感謝に変える

 

別にきれいごとではなく、恨みは感謝に変わりました。

 

もしもあのまま会社にいたら、安い給料でストレスの多い仕事を続けていたはずです。

そこから抜け出すキッカケを与えてくれたパワハラ社員には、感謝の気持ちしかありません。

 

世の中で受ける負のパワーを、正に変える事ができたら、かなり楽だと思いませんか?

負のエネルギーをばら撒いている人は、そこら中にいます。

 

それが全て自分の糧になります。

わたしはこのスキルのおかげで、スペックの割に収入を得ることができました。

 

我が強くなくても上手くいった働き方や、年収が上がった経緯など、他のページに書いてあるので良かったら読んでみてください。