会って話して、じっくり審査された後に不採用をもらうのって傷つきますよね。
わたしはそのダメージが怖くて、新卒の時に就活から逃げ出しました。
6年のバイト生活が終わるキッカケは、警察にお世話になったからです。
終電間際にサイフを忘れた事に気づいて、交番に交通費を借りようとしました。
バイトの身分を言ったら年配の警察官に「アルバイトォ~ッ!?」と叫ばれたので、それがキッカケで就活を始めました。
ちなみに交番で借りたまま返さない人が多いため、警察官の警戒心は当然の反応です。
ともあれそんなハートが弱いわたしの就活は、滅多に面接を受けないスタイルでした。
たまに面接を受けただけで疲れ果てて、家に帰ったら早めに寝ていました。
そんなだから面接は一日に一件までだし、1社の結果が出るまで他の会社を受けないという臆病さでした。
今回はそんな就活をしていた、20代の頃の失敗を書いていきたいと思います。
このくらい低レベルで、不採用の経験があっても大丈夫という参考になれば幸いです。
⇒ 経歴
初めての面接は、こっちもむちゃくちゃだった
わたしに不採用を与えた会社をボロボロに言おうと思っていましたが、思い起こすとこちらもひどいものでした。
まず服装が、セブンという映画で刑事役だったブラッドピットの恰好を参考にしていました。
ジャケットによってかろうじてサスペンダーがわからない状態でしたが、思い出してもゾッとします。
ネクタイは100均の物で、緑地に黄色が入ったクリスマスツリーみたいなガラでした。
池袋のネット通販会社に面接を受けに行く
就職氷河期だったのでとりあえず入社できればいいやと、設立間もないネットのブランド品通販会社を受けました。
その会社は書類選考をしない方針らしく、いきなり面接の日程を決められました。
池袋にある会社で、西口を出て住所をたどるとホテル街に足を踏み入れていました。
この時点で
『ああ、これは・・・ショボい会社だぞ』
という予感がありつつ、雑居ビルにある通販会社に着きました。
せめて、ついたてくらい
オフィスに入ると、10人もいないくらいの会社でした。
人目を気にする人にとって辛い、オープンスペースでの面接です。
絶対に近くの社員が話を聞いているパターンです。
社長が直接面接しましたが、若くて雇われっぽい印象を受けました。
会社のビジョンだの、ブランド品だからあまり値下げしないとかを散々聞かされた挙句、数日後に不採用のメールが届きました。
なんだよっ!
もし入っていたら・・
わたしは後にネット広告代理店に入って、そこで適性がある事がわかりました。
面接を受けたネットのブランド品通販会社も、広告に関わる業務があると思います。
ですが通販ということで検品とかそういう業務に回され、わたしの特性が活きる前に終わっていたかもしれません。
第一ブランド品に興味がなかったので、その会社を選ぶ方が間違いでした。
就活中は余裕がなくて、こういうミスマッチが起こります。
わたしは失敗が多かったゆえに、様々な改善策を考えて試しました。
その工夫の結果、大企業平均より高い給料の会社で働くことができたので、よければ色々と参考にしてください。
わたしを採用しなかったばかりに・・
他の会社に就職した後、就活していた頃を思い出して通販会社を検索しました。
そうしたら通販会社が、わたしの受けた数年後に消えてなくなっていました。
別に恨みを抱いて数年間もサーチしていたわけでなく、人生の分岐点の検証をしたい気持ちからでした。
もしネット通販会社にわたしが入っていたら、数年で倒産を経験していたでしょう。
六本木まで行ったのに不採用
あまり仕事っぽい仕事をしたくなかったので、ケータイか何かのゲーム会社を受けた事があります。
面接の時はアポよりも大分早く現地に行って、会社を見つけて近くで待機するのがルーティーンでした。
待機中に気持ちを落ち着けるのですが、六本木は変な場所しかありませんでした。
歩道は幅10cmくらいしかないし、待機場所は三角州みたいな車が行きかう場所しかなかったです。
会社が人に優しくない街にあるので、この時点でマイナス10点です。
最寄り駅が地下鉄の会社が嫌い
六本木って偉そうな割に、地下鉄駅しかありません。
地下鉄の何が苦手かというと、地上に出ると変な場所だったりする事です。
地上に出たらバスターミナルの真ん中で、バスに乗らないなら再び地下に戻るしかないとか。
社会人生活で電車通勤はあまりしなくてすみましたが、地下鉄には苦手意識があります。
特に面接前は、動揺させないでほしいです。
面接の服装が少し進歩する
ネット通販会社に面接を受けに行った時よりも、服装は進歩しました。
とはいえ当時のウォッシャブルスーツは、麻みたいにガサついていて安っぽいものでした。
色もなんかあか抜けない青系の色でした。
靴も数千円代のもので、革に見えるビニールでした。
今はちゃんと、革の靴を履いています。
面接官の恰好がひどい
おじさんと、現場部署の社員と思われる女性が面接官としていました。
その女性の服がライダースっぽかった気がしますが、ハッキリと覚えていません。
ただ恰好が面接の場には不釣り合いなものでした。
ネックレスは何かの骨でできているのでしょうか?
爪はひっかかれたら、そこが青紫になって腐りそうな色でした。
耳に至ってはピアスをつけすぎて、CPUみたいになっていました。
街中で見たら、距離を置いた方がいい風体でした。
面接内容もひどい
面接官のおじさんは人事か、現場部署の課長あたりの役職だと思われます。
女性はずっと不貞腐れたような態度で、おじさんはフォローのためか
『彼女はとても優秀で』
と、内輪褒めを目の前で展開しました。
彼女が優秀かどうかわかりませんが、わたしには病んでいるようにしか見えませんでした。
あだ名をつけるとしたら、こんな風になります。
嫌な思いをした上に不採用
面接官の女性はずっと不貞腐れていましたが、それでもわたしは耐えました。
耐えた結果が不採用です。
そうであれば、面接の場で思った事を言えばよかったでしょうか?
わたしはそうは思いません。
不満をぐっとこらえる事で、屈辱をエネルギーにステップアップする事ができます。
悔しい事を我慢してエネルギーに換える事を繰り返している内に、悔しい事がない地位まであがれました。
後にわたしは面接官を査定したり、会社の採用基準を策定する業務に携わりました。
ゲーム会社のその後
わたしがそのゲーム会社に入ったとしても、あまり適性がなかったと思います。
誰かの設計に合わせて作るような仕事は、上手くできなかったでしょう。
それから数年後にゲーム会社を検索すると、パチンコメーカーに吸収されて消滅していました。
何年も検索するとかネチっこいと思わないでください。検証が好きなだけです・・
不採用でも落ち込まない考え方
ここで紹介したように、不採用を受けてもその後を考えればよい結果でした。
少し話が大きくなってしまいますが、人類は負けた側が発展してきました。
アフリカのジャングルから追い出された弱い猿が、二足歩行の人間になりました。
就職戦線に不戦敗で敗れたわたしは、年功序列制のエスカレーターには乗れない事が確定していました。
そのため、消去法で不安定なイメージのベンチャーに進みました。
ベンチャーでは年功序列がないかわりに、年齢関係なく早めに年収800万円くらいになりました。
1000万円を超えたのが30代で、それからも上がり続けました。
ここまでくるのに不採用や失敗がありましたが、それらの分岐点を検証すると、いずれも後にプラスの結果につながっている事がわかりました。
不採用で落ち込む事があったとしても、腐らなければいずれは利子がついて戻ってくると思ってください。