小学校入学当初なら、友達100人作ろう系のコミュニケーションでいいと思いますが、社会人になってもいまだにそれがコミュニケーション能力だと勘違いしている人がいます。
薄っぺらくてうるさいのが、コミュニケーション能力だと思っています。
ぼんやりした会社だと管理職も本質を考えないので、飲み会に参加する・しないでコミュ力を判断したりします。
人とベッタリとしていれば何とかなった昭和ではないのですが、こういう価値観もまだ残っています。
しかし重要なのは正確な情報伝達や、相手の意をくみ取る真のコミュニケーション能力です。
コミュ力を売りにするような人の特徴として
・知り合いのステータス=自分の価値
・連絡先を交換したら友達
・異業種交流会に参加するとスキルアップ
・実はあんまり好かれていない
といった事があげられます。
高校の終わりや大学くらいから知り合いの数でマウントを取る人が、社会人になってどうなっていったか?
彼らは底が浅いので、大抵は引き出しが空っぽになる35歳くらいでフェードアウトしていきます。
コミュニケーションを売りにする人が薄っぺらい理由
彼らは自己像が非常に高くて、現実がそれに追いついていない事に焦っています。
それを手っ取り早く解決するために、ステータスのある人と知り合いになりたがります。
憑依体質なのか、知り合いのステータスが自分のステータスだと思えるみたいです。
なんでも一足飛びに近道をしようとするので、地肩が鍛えられず薄っぺらいです。
そういう人は学生時代は色々とごまかしが効きますが、社会に出ると徐々にメッキが剥がれていって、最後はただの胡散臭い人物という印象しか残りません。
自称コミュニケーション能力がある人
自称コミュニケーション能力が高いという人のメールは、意味がわからないものが多いです。
自分の視点しか持っていないので、子供が状況説明をするようなメールです。
彼らのコミュニケーションは、他人がくみ取ってくれる事を前提にしています。
他人に負荷をかけるかわりに本人は楽なので、好んで他人に関わろうとするのです。
実はそんなに好かれていない
自称コミュ力がある人は、電話帳がパンパンだったり名刺をたくさん持っていたりします。
社内でも色々なグループでワイワイします。
しかし実際は、さほど好かれていません。
時間が経つにつれて、ちょっと痛い人という認識になっていきます。
仕事を一緒にすると、自称コミュ力があるという人はあまり協調性・共感性がない事に気がつきます。
単に自由にふるまう子供でしかなく、無責任で仕事もスタンドプレーが多いだけに過ぎないとバレます。
反省しない事を『前向き』という都合のいい解釈をしているので、いつまでも同じ間違いを繰り返します。
フェードアウトしていく
誰よりも知り合いが多いはずなのに、自称コミュ力がある人は仕事が上手くいかなくなってフェードアウトしていきました。
会社で行き詰って起業しても、そこで仕事ができるようになるわけでもなく、徐々に姿を消していきます。
グレーゾーンの下っ端になっていった人もいます。
あれだけ知り合いが多いと言っていたのに、結局は自分を利用する人しか周りに残らなかったみたいです。
35歳くらいになると消えていく人が多かったので、体力と関連した行動力の低下が影響しているのかも知れません。
直接的なコミュニケーションは減っている
ネットがなかった昭和の頃は、仕事でも他人にベッタリするだけで何らかの成果が上がったと思います。
墓石を売るだの胡散臭い先物投資だの、人と会えばそれなりに進むような仕事がありました。
しかし今は、インターネットでのコミュニケーションがメインです。
会ってその場の雰囲気でどうこうするような仕事ぶりは、もう通用しません。
だから自称コミュニケーションが高いと言っている人は、立ち行かなくなっていきます。
人脈という言葉に憑りつかれた人の末路
コミュニケーションを売りにする人は、基本的に自身が空っぽなので、社会を生き抜くために他人に依存しています。
コミュ力が高いと言う割に、継続的な関係を築くのが苦手です。
個人で人材紹介をやっているという人が居ました。
色々なパーティーや企業の集まりに参加していて、そこで知り合った人を会社に紹介するというものです。
一人を会社にねじ込めれば、紹介料で100万以上が入るので、チョロいと思ってやっているのでしょう。
一言で言うとうさん臭い人物で、会社と人材のマッチングを考えられるような人ではないです。
失敗を繰り返して信用を落として、だんだんとフェードアウトして消えていきました。
人を見る目はない
自称コミュ力がある人は、客観的な視点を持っていないので人に騙されやすいです。
自分に芯がないから、人に対する判断基準がなくて、点でしかものを考えられません。
人脈が広い事を売りにしていた吉本の芸人が、他の芸人に闇営業を斡旋した上に、その斡旋先が犯罪者集団だったという事がありました。
これも典型的な、自称コミュ力が高い人です。
本業のお笑いで行き詰まり、飲み会やコミュ力を売りにするようになりました。
友達が5000人いると言っていますが、相手は連絡先を交換しただけで友達とは思っていない人もいます。
幼児性が強くて自分に都合がいい解釈しかしないので、勝手に友達にカウントしてしまいます。
”トモダチ”を増やす一例として、SNSにダイレクトメッセージを送ってきた見ず知らずの人と会ってご飯に行くのだとか。
これをスゴい事だと思って言うあたり、感覚が悪い意味でズレています。
最後は事務所を通さずに芸人を営業を斡旋し、しかもそれが犯罪者の宴会だったという、本当の闇営業で事務所を解雇されました。
交遊関係の広さに依存
本人は交遊関係が広いと思っていても、周囲は苦笑いしているだけという事があります。
色々な人の所にすり寄るけど、上辺の付き合いしかしてもらえません。
しかし本人は他人にすがる以外の生き方がわからないので、憑りつかれたように
『友達が多い』
と、自身にも暗示をかけるように喧伝します。
落ち着きがない人とコミュ力は違う
個人力がない人の人脈は無意味
人は孤独な時に自分と向きあい、成長をしていきます。
その上で足りないものがあったら、会社組織で補いあいます。
そこでは当然、他人が苦手にしている部分を補う個人力が必要です。
人脈狂の人は、他人と知り合うとその人のステータスが自分のものだと勘違いをするので、自分を高めようとしません。
手っ取り早く自分をランクアップしようとして、結局は薄っぺらいままです。
個人力を高めないと、人脈を広げても無能の印象を広めるだけです。
人脈より縁
少しでも友達と思っていたら、人の事を金づるや金脈みたいなニュアンスのある『人脈』なんて言わないはずです。
人脈という言葉には利用してやろうという打算が含まれています。
他人が見て
「あの人は人脈が豊富だ」
と言うならまだしも、本人が『人脈』と言ったらおしまいです。
社会人で『人脈を作ろう!』と言っている人に、あまりちゃんとした人は集まりません。
真面目に仕事をしていると、その姿に共感を覚えるのは同じく真面目な人です。
こうして『縁』が広がっていって、転職など人生の節目で良い結果に巡り合えます。
人脈より縁