わたしは小さい事でクヨクヨ悩んだりする方ですが、そのおかげで過去の細かい事を覚えていて、こうして経験を書くことができます。
会社でムカつく人がいた場合に
『キレた方がいいのか・我慢をした方がいいのか?』
キレてスカッとする話がありますが、後日談も『キレてよかった』で終わります。
ですが数年後に検証しても、果たして『あの時キレてよかった』となるでしょうか?
40代のわたしが、20代の頃にキレた結果を書いていきます。
今キレたいと思っている方は、この記事を読み終わるまで待ってください。
中途入社の会社でムカつく人に遭遇
中途入社で未経験業種のシステム会社に入った時のことです。
わたしは入った時期が中途半端であったため、部署も上司も曖昧な感じでした。
そこで指示を仰ぐ人として、太っているけど髪は長めでスーツはスリーピースという、成金のおぼっちゃまみたいな人の下につくことになりました。
この人の何がムカつくのかと言うと、わたしが報告や質問をすると、言葉が終わらない内に
『ぴぎゃぁああっ!』
というトーンで罵声を返してくることでした。
バイト経験で肉体労働系のものがありましたが、そういう場所よりも理不尽に罵声を浴びると感じました。
怒りの感情がわく
職場で毎日、目の前で罵声を浴びせられると、心に積み重なっていくものがあります。
数ヶ月くらいそんな日々を送っていると、わかってくる事がありました。
おぼっちゃまみたいな人は太っていることもあって、罵声を言う時に
『すぅーっ』
と息を思い切り吸い込むので、こちらも身構える事ができます。
身構える事ができるとその次は、
(なんで罵声浴びないといけないんだ?)
という怒りの感情がわいてきます。
怒りの感情が何度かわくと、次はキレることへつながります。
にらみつける
それである日、わたしは罵声を浴びた後におぼっちゃまみたいな人を、しばらくにらみつけました。
その後は心なしか罵声が減った気がしましたが、またおぼっちゃまが罵声を浴びせてきた時に、周りに人がいるにも関わらず再びにらみ返してしまいました。
ケンカ一歩手前の時にやるにらみ方だったので、かなり攻撃的な感じだったと思います。
わたしも20代だったし、男ばかりのバイト経験でたまに衝突の場面を見ていたので、好戦的な面が残っていました。
仕事がやりづらくなる
おぼっちゃまをにらみつけた事で、一瞬は胸がすく思いでした。
しかしわたしは勢いでやってしまっただけで、その後にどういう形に持っていくのか考えていませんでした。
その会社の体制は孫請けシステム会社にありがちな、管理職レベルでも常駐っぽくどこかにいる事が多く、人員のケアみたいなものはありませんでした。
それににらみつけたのが罵声への返しだとしても、周りの人にわたしが好戦的な人物だと思われたのはマイナスでした。
キレてしまった事はわたしにとって良い結果をもたらさず、結局は会社を辞めてしまいました。
会社は学校ではなかった
学校のイジメに対しては、やり返すのが正解という事が多いと思います。
しかし会社では、『仕事の能力』という要素を無視できません。
おぼっちゃまは太っているのにオシャレで、叫び声のような声を出すことから、どこかが壊れた人だと思います。
しかし、システムエンジニアという仕事の面では、わたしよりも経験と技術がありました。
人手不足のシステムエンジニア職という事もあり、何かあっても会社はおぼっちゃまの方を残すでしょう。
負けた経験を次に活かす
会社制度の中でムカつく人に感情的に反抗して、わたしは負けを経験しました。
しかしこの経験が次の就職で活かせました。
お笑い芸人が貧乏な育ちを
『発想力が育ってよかった』
と言うように、何も無い人が飛躍するにはマイナスの環境が必要に思います。
わたしはくやしさをバネに、システムの勉強を強化しました。
会社でムカついても我慢した結果
システム会社を辞めてから二社目の会社で、おぼっちゃまみたいに罵声は出さないものの、立場が弱い相手をいたぶる精神性をした人間がいました。
その人物はわたしの上司というわけではなく、上司の同期といった立ち位置の人間でした。
上司は意地悪ではないものの、仕事を放り出して遊んでしまうため、結果的にわたしを困らせる存在でした。
入って間がない会社で上の人とうまくいかないという、システム会社の時と同じ構図になりました。
上司とその同期の人、二人が問題でした。
上に話をもって行かない
小さい会社だったので、上司のその上となると役員になってしまいます。
ここで役員に現状を訴えるのは簡単でしたが、根本的な解決には至らないと思いました。
権利を主張する前に、まずは成果を上げて会社に自分の存在価値を示す事にしました。
そこでわたしは我慢をして、上司が不在時の突発的な案件も黙ってこなしました。
取引先に謝りつつ、上司の机から書類を探しながら何とか仕事を回していました。
そのおかげで、早い段階で仕事の全容を把握できました。
その間も上司の同期にチクチクやられる日々でしたが、これも我慢しました。
立場が入れ替わる
不満を全て仕事にぶつけて、平日の夜や土日を使って業務に使えるシステムを作っていました。
ストレスというのはものすごいエネルギーになり、毎日、最後までオフィスに居残っていました。
この姿は会社において、わたしが真面目に仕事をやる人間だという印象づけにつながりました。
その上で完成したシステムを上司の上の人に持って行って、現状よりうまく仕事を回せる事を示しました。
上司を悪く言うような事はしませんでしたが、上司の勤務態度の問題もあって、会社はわたしを責任者に選びました。
ほどなくして上司は会社を去る事になりました。
もしもわたしが元上司に手を差し伸べていたら、違う結果になったかもしれません。
復讐の後味は悪い
上司の同期の人は手のひらを返したかのように、わたしに媚びてきました。
その態度にわたしはその人のことを、ますます信用がおけない人だと思いました。
外注の方が質が高かったのもあり、わたしはその人に仕事を振らなくなりました。
仕事がなくなったその人は、会社を去っていきました。
この事で気分がよくなるどころか、わたしは自分が死神のように感じました。
嫌な事をされている時は復讐で頭がいっぱいになると思いますが、やってみると自分が少し嫌な人間になったように感じました。
他人に何かをされた事より、自分が他人を許さず報復をした事の方が尾を引きます。
それ以降、わたしは権力を使うような事をせず、その分が収入になって入ってきた気がします。
キレなくなるに従い、働く会社も大きくなっていった感があります。
⇒ 経歴
結論
ムカつく相手への対処は、
『優位な立場になった後に許す』
という結論に至りました。
キレて状況が好転した事はなくて、逆にキレなくなってから周囲の人に信用されるようになりました。
例え上司と険悪であっても、キレないで臥薪嘗胆することで、社内外の誰かが見ていてくれます。
わたしはキレたり不機嫌を出さなくなってから、人が声をかけてくれる事が増えて、会社に誘われるようになりました。
そして今は経済的に安定して、行動を全て自分で決められるようになりました。
キレて得られるものは一瞬の気分で、我慢で得られるのは一生ものではないでしょうか。