普段のわたしは東京湾を行きかう船くらい、対抗者を遠くに視認した段階で軌道を変えるようにしています。
人通りが多い場所では縦スクロールのシューティングゲームみたいに、左右に避け続ける事になります。
左側を歩こうが右側を歩こうが、わたしは対抗の人を避けてばかりです。
成人してからの避ける回数をカウントしたら、先日累計で1万回を超えました。
1万回はウソですが、体感的にそれくらい避けまくっています。
そんな生活をしていてふと
「よけなかったらどうなるんだろう?」
という思いがよぎりました。
そして実際に避けるのをやめたらどうなるのか試してみました。
結論から先にいうと、吐き気が止まらなくなりました。
そもそも、何で歩道で避けない人がいるのか?
避けない人の理由はいくつかあります。
その一つが、交通ルールを間違って覚えている狂信者タイプの人です。
実は歩道内で歩行者は左側・右側のどちらを歩くか、今はルールがありません。
ただ日本は原則左側通行の国で、昭和初期まで法律で歩行者用の道路では左側通行と決められていました。
だから現在でも駅構内や大きめの公園の歩行者用道路で矢印を書く時は、左側通行が多いのです。
明確な規定がなくても、東京では自然に任せると左側通行の流れができやすいです。
原則左側通行の日本で、唯一例外なのが米英の影響で戦後に規定された、
『歩道と車道の境がない道では、人は右・車は左』
というルールです。
人と車が両方とも左側通行だと、ゆっくり歩く人のすぐ横を後ろから車が通る事になります。
それよりも人のすぐ横を通る車は前から来た方が認識しやすいため、人は右・車は左となりました。
これを受けて昔の学校が勘違いしたのか、それとも熱心さからか、校内の廊下を右側通行にしてしまいました。
これにより歩道内は右側通行だと間違って覚えてしまい
『法律で決まっているんだ!』
と言って右側を歩いて絶対に避けない人が生まれました。
避けない努力をする人がいる
今回、自分で実験をしてわかりましたが強い意志を持って避けない人というのはいます。
避けない事を勝負事として捉えていて、歩くことで負けない自分を創り上げているのです。
右だろうが左だろうが、真っすぐ進み続ける事が目的になっています。
彼らは普通の人が勉強を頑張るとかと同じように、自己を高めるために
『他人を避けない』
という努力をしているのです。
わたしの実験を後述しますが、避けないのは努力です(すごく迷惑な)。
ただただ他人を認識しない人
普段歩いていて、避けない人に対して
「こっちが避ける事を前提にしていないか?」
と不満に思う方もいるでしょう。
そう思うのは、ご自身が他人の動きを考慮しながら歩いているからではないでしょうか?
しかし世の中には、
『ワシ・歩く』
のように、一人称・一行動しか頭にない人がいます。
『ワシ・コンビニ入る』
『ワシ・スマホを見る』
初期の機械みたいに、一つの行動しかインプットされていません。
極端に他人との共感性が低いとか、そういう部類の人です。
さぁ、絶対に避けないぞ!
避けない実験をするにあたって、わたしは強い意志を持って避けない人を参考にしました。
その結果辿り着いたのは、テストステロンを増やす事です。
これによって他を押しのける気概が生まれます。
テストステロンというのは筋トレや格闘技で分泌される他、ヤのつく事務所を構えて活動する団体員のような行動でも出ます。
ヤの字の団体員って、ガニ股で肩で風を切るイメージはないですか?
あれがテストステロン値が高い人の歩き方です。
テストステロン値を上げる
絶対に避けない実験を前に、筋トレを多めにやったりしてテストステロン値を上げました。
それに熊のように両手を上げる動作でも、一時的に上がるそうです。
今、ちょっと熊のポーズをやってみてください。
何だかちょっと気が大きくなりませんか?
と、同時に『何やってるんだろ』感が出てくるのではないでしょうか。
実験当日のわたしもそんな気分でした。
歩いてみる
夜のウォーキングで、人通りがそんなにない道を選びました。
歩き方はややガニ股で、自分的には精いっぱい肩をいからせた感じの歩き方をしました。
すると心なしか相手が早めに避けてくれるような気がしました。
その中で心が痛んだのが、普段のわたしと同じように大分手前から進路をずらしてくれる人です。
テストステロンが足りなかったのか、他人を押しのける事は気分の良いものに感じませんでした。
ようやくちゃんと避けない人と出会う
人が二人しか横に並べないくらいの歩道で、向かいから仕事帰りと思しき男性二人組が歩いてきました。
わたしの感覚だとこういう場合、一方通行の道ではないので二人組の内の一人が後ろにずれて、一列になるものだと思っています。
歩道の二人組の側には柵があり、わたしが避けるとしたら一段高くなったマンションの敷地側に上る必要があります。
普段なら一段上に避けている所ですが、この日は真正面を向いたまま歩きました。
二人組の一人のエリンギ似の男性もそのまま歩いてきましたが、ギリギリになって二人組のもう一人の方に寄りました。
もう一人の方が先輩だったのか、先輩に少しぶつかったエリンギ氏は
「すみません」
と謝っていました。
避けるにしても不器用というか、判断が遅い人もいます。
そしてわたしにではないですが、実際に先輩にぶつかりました。
そういう人は多分、悪気はないけど気づきが少ない人なのだと思います。
今回の実験で、自分が避けないと本当に衝突が起こるという事がわりました。
目の前で自転車事故を見たことがありますが、何も想定しないで走っているかのようでした。
避けない実験をした結果
実験が終わってから自分が一段低い人間性になったような気がして、吐き気がしました。
けど実験をして良かったです。
たまに自分の性質と真逆の行動をとることで、視点が広がって生きやすくなります。
今回は避けない人の視点が理解できました。
避けない人はどこかでトラブルを起こし、社会に溜まった負のエネルギーを解消してくれます。
避けない人の役割は自分に代わって負のエネルギーを浴びてくれるのだと思うと、これからは不満なく避ける事ができます。
社会には好き勝手やってトラブルにぶつかるタイプと、我慢をしてトラブルを避けるタイプがいます。
内向的な人はトラブルを避けるのが性に合っています。
避けない格闘家
以前、新宿歌舞伎町前の歩行者が多い歩道で、向かいからある格闘家が歩いてきたことがあります。
目がギラギラしていて、人混みなのにまるで他人がいないかのように歩いていて、周囲の人が避けていました。
随分と傍若無人な歩き方をするなという印象でした。
後日、その格闘家がケンカのエピソードを語っていました。
その理由の一つが、
『相手からぶつかってきたから』
というものでした。
恐らく自身と同じように歩く人物とぶつかってトラブルになったのでしょう。
そのトラブルを解決したところで、一体なにが生まれるのでしょう?
そしてトラブルが日常になるのか、歩く以外でもトラブルを引き寄せてしまうようになります。
避けない事で一瞬は優越感をおぼえると思いますが、長い目で見たらメリットはありません。
笑い話に転換する
人が三人は並べないくらいの歩道で、向かいから老夫婦がやって来ました。
目測だとぶつかってしまうと思っていたら、老夫婦はこんなフォーメーションになりました。
結局お爺は直進してきたので、わたしは半身を逸らしてやり過ごしました。
古いゲームで直進しかできないキャラだと思うことで、自分の脳内で笑えるように変換しました。
ちょっと嫌だなという経験をプラスに変換するクセがつくと、お金が入ってきやすくなります。
穏やかになろう
わたしはスマホの地図がない頃はよく道を聞かれていました。
スマホが普及すると、今度は外国人に声をかけられます。
中には寸借詐欺っぽいのも混ざっているので、ちょっと面倒です。
ですが人を威圧するキャラよりはマシだと思います。
他人が声をかけやすいという事は、人と似た性質のお金にも好かれやすい気がします。