このサイトではフリーターから就職して、30代で年収1000万円を超えた経緯などを説明しています。
その中であまりに黒歴史なので封印していたのが、自衛官の採用試験に落ちた件です。
数年間、自衛隊に入る事を前提に生活をしていました。
自衛官の採用試験は階級によって、別々に行います。
わたしは一番下の階級の2等陸士の採用試験(今だと自衛官候補生)と、その一つ上の曹候補士(今の一般曹候補生)を受けました。
結果不採用でしたが自衛隊にとってもわたしにとっても、これで正解でした。
その後の人生 ⇒ 経歴
自衛官の採用試験を受ける手順
自衛官の試験を受ける第一歩は、最寄りの自衛隊の事務所に行く事です。
わたしが行ったのは小さなビルの一室で、数人くらいの零細企業っぽい雰囲気のところでした。
ただ職員は制服を着ているのと、小ぎれいな事務所内が印象的でした。
職員の中にレンジャー資格を持った人がいて、
『レンジャーなのに、事務職をやるの?』
と不思議に思いました。
こっちはデスクワークをしたくないから自衛官になる、みたいな所がありました。
レンジャーはジャングルの中を駆けずり回って、ヘビを食べるのが仕事みたいな認識でした。
自衛隊は本当に、わたしのようなふざけた人間を採用しなくて正解だったと思います。
その頃は自分にデスクワークが務まるとは、思っていませんでした。
曹候補士の試験に落ちる
筆記試験の対策に、『曹候補士になろう』みたいな本を買って勉強していました。
自動車免許の筆記試験みたいにひっかけ問題はないので、勉強した分だけ合格の確率が上がります。
筆記試験に受かると、数週間後に二次試験があります。
二次は健康診断と面接ですが、わたしは健康診断で落ちました。
血圧が基準より高いとかで、何度図っても数値が下がらず不採用でした。
持病とかはなかったし、血圧が高くてクラクラするような症状もなかったので、高血圧に関しては意識していませんでした。
入隊を考えている人は献血をすると血圧を測ってくれるので、一度やってみてはいかがでしょうか。
血圧の対策をする
曹候補士に落ちても、まだ2等陸士の試験が残っています。
曹候補士の試験は、陸士で入隊した後でも受ける事ができます。
一般企業では少なくなった、昇格試験のようなものでしょうか。
陸士の健康診断にパスするため近所の個人病院に行って、血圧降下剤という薬を処方してもらいました。
血圧を下げる薬というのがあって、これを試験の時まで大事にとっておきました。
2等陸士は駐屯地に試験を受けに行く
2等陸士(自衛官候補生)の試験は、テストと面接を同じ日にやりました。
駅から駐屯地へは、募集事務所の自衛官が運転する車で行きました。
車中で鼻に付く営業マンのようによく喋る男がいて、内心で
(お前は戦場で一番最初にやられるキャラクターだぞ)
と思っていました。
雨だったし、そんなくさくさした気分でした。
体育館みたいなところで試験
かなりの人数が、体育館みたいなところに集められました。
簡素な机とパイプ椅子で、学校行事の延長みたいな雰囲気です。
待ち時間中に、ヤンキーみたいな騒ぎ方の男が目立ったので見ると、ストライプのダブルのスーツという輩みたいな服装でした。
かくいうわたしも黒いシャツに茶色いスウェードのジャケットという、ヒットマンみたいなスタイルでした。
世の中に絶対はないけど、絶対に採用されない服装です。
これも黒歴史の一つです。
他人にアドバイスを求められない性格で、自分の服装の感覚がおかしいという事に気がついていませんでした。
人生の前半は、何もかも稚拙でムチャクチャでした。
面接で落ちる
筆記試験に関しては、事前に本を買って対策をしていたので大丈夫でした。
ほぼ、本のまんま試験に出る感じでした。
血圧も虎の子の血圧降下剤でぎりぎりパスして、ようやく面接までやることが出来ました。
面接は人数が多いので、沢山のブースでいっぺんに行いました。
3人の面接官に対して、こちらは一人です。
和やかに進んだと思っていたら、わたしが政治発言っぽく取られる失言をしたら、空気がガラッと変わりました。
『あっ、これ言ったらいけないやつだ・・・』
とすぐにわかりました。
NGだったのは政治的な事に関する発言でした。
この失言により不採用となり、わたしの挑戦は終わりました。
一度の不採用で自衛官を諦める
一度試験に落ちても、数ヶ月経てばまた受ける事ができます。
ですがわたしは自衛隊に縁が無かったとして、二度と受ける事はありませんでした。
数年間、自衛隊に入る事に照準を合わせていたので、全ての事が白紙になりました。
ですがこの白紙のまっさらな状態が気分良く感じ、新しい道を探す気になりました。
挫折を乗り越えるとかカッコいいものではなく、数年来の重荷から解放された気分です。
そもそも何で自衛官を目指したのか?
ネットが普及していない時代、進路を決める情報はかなり少なかったです。
そのため学業が振るわなかったら、一生涯苦労をするような極端な考えに囚われていました。
なので自分から普通の社会を捨てて、太く短く生きようと思いました。
カッコよく言っていますが、単に学歴社会に順応できない不安感から、読んだ本に感化されただけです。
今思うと、ヒステリーのような状態でした。
▼
フランス外人部隊
▼
東南アジア
こんなステップで考えていました。
不採用により、一般社会に戻る
▼
自衛隊×
となったら、再び一般の社会に戻るしかありません。
新卒からフリーターと無職の職歴しかない状態からのリスタートです。
ネットの情報に救われる
自衛隊に落ちた頃、インターネットの普及により他人の経験を拾えるようになってきました。
最初の頃は動画ではなくテキストベースの情報が多かったですが、読書習慣があったので無理なく吸収できました。
わたしは人に意見を聞けない分、ネットに依存していました。
その結果、自分の性質に合った仕事について、30代で年収1000万円に達しました。
学歴がないと不可能と思っていたルートに、途中から乗る事ができました。
今わたしがネットに自分の失敗をさらけ出しているのは、ネットへの恩返しでもあります。
挫折をしても、戻れる
何年間かは、自衛隊に入るのに合わせた人生を送ってきました。
例えば住み込みのバイトに関しては、集団生活に慣れるための訓練でした。
ビルの窓ふきのバイトも、危険な要素があるバイトなので選びました。
自分は自衛隊に入るのだと思って、それまでにフリーターをしながら自由を味わっておくつもりでした。
それが自衛隊に不採用だった事で、人生で初めての挫折を味わいました。
それまで学校は絶対に合格できる低レベルな学校を選んだし、部活を頑張ったわけでもなし、人生で挑戦をした事がありませんでした。
失敗を怖がってばかりでしたが、いざ挑戦に失敗をすると頭をフル回転させて挽回を考え、知恵が発達した気がします。
とりあえず仕事にお金を求める
自衛隊の採用試験に落ちてから、再びフリーターを続けました。
特にやりたい仕事も無くて、別にフリーターのままでもいいかと思っていました。
ですがフリーターの社会的地位の低さを痛感させられる出来事があって、就職する事にしました。
とりあえず接客要素がない仕事を選び、年収は1000万円というのを目標にしました。
学歴社会に乗っかれない事で、逆に自由に自分の生き方を決める事ができました。
その結果、経済的に自由になり40代で早期リタイアが出来て、自分に合ったペースで日々を過ごせるようになりました。
人生は大体、15連敗くらいしても大丈夫
わたしは自衛隊に落ちた後に、大体15連敗くらいした気がしますが、それでも大丈夫でした。
もしかしたら20連敗・30連敗くらいしても、最後に勝てば大丈夫なのかも知れません。
それに、失敗が糧になった感があります。
内向的で失敗の原因を自分に求める人は、失敗をするほどに賢くなります。
学歴社会で失敗したわたしは、最終的には大企業平均より多くの年収を得ることができました。
今現在、人生に思い悩んでいる方は、このサイトのいろいろなページを読んでみてください。
『このレベルの適当な人間でも大丈夫なの?』
と思っていただけると思います。
わたしのレベルは、リアルに
『コンビニのバイトが難しそうなので諦めた』
というレベルです。⇒経歴