通勤では、普段は近づきたくもないような人とも、狭い空間に一緒に押し込められます。
その中で周囲に配慮をする善人ほど、つらい思いをします。
他人に迷惑をかけても何とも思わない図太い人は、配慮が出来る人に負担を押し付けます。
通勤によるストレスは均等ではありません。
この理不尽な状況について。
善人ほど通勤がしんどい理由
他人に迷惑をかけても平気な人が、周囲に負荷をかけます。
この世に負を産み落とすのは、このテの人たちです。
要領が良い人は自分の所に来た負荷を他人にいなす事ができますが、善人はそれが出来ずに負を抱え込んでしまいます。
だから通勤の電車内を想像しただけで、嫌な気持ちになり『会社に行きたくない』と思います。
この感情が折り重なって、心にしんどい気持ちが積まれていき、一定水準を超えると退職まで考えるようになります。
色々な階層の人がいるので辛い
他人に迷惑をかける人というのは、自分を客観視できなかったり、他人との共感性が乏しい人たちです。
こういう人たちは大抵、底辺域でしか生活できません。
だから普段の職場では会う事もないし、遠ざける事もできます。
しかし通勤ではあらゆる人たちと無理やり一緒にされるため、嫌な思いをさせられることになります。
彼らはコンプレックスの塊なので、普通の大人なら我慢するところを我慢できず、いざこざや刃傷沙汰を起こしたりします。
底辺の人たちが他人に配慮をしたり、気持ちの良い行いをする場面を見た事がありません。
常に自分の快の為に他人を不快にさせています。
一緒に居ると嫌な思いしかしない底辺域の人と、毎日のように一緒にさせられるのが通勤のしんどいところです。
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移動する目的は人それぞれ
駅の乗り換えで人混みを避けるために、ワキに逸れて缶ジュースでも買って飲んでいると、雑誌を拾い集めて駅前で売っている住人がやってきます。
ちょうどその辺りが雑誌の隠し場所になっていて、自分の集めた雑誌を取られまいとして近寄ってきます。
彼らの考え方やリズムは、通勤客とは違うのでリズムが狂います。
正規の料金を払い満員を我慢をして移動した上、ゴミみたいな雑誌を盗むと思われると、朝から残念な気持ちになります。
他はターミナル駅の前にある大型のパチンコ店に通う乗客もいます。
平日にパチンコをやる人と、仕事をするために電車に乗っている人は種族が違い過ぎます。
軋轢が生まれないワケがありません。
我慢させられるのは、いつも常識がある方です。
嫌な光景を目にする
土曜日に出勤した時のこと。
座れはしないものの、平日とは違って押し合いしなくても済む電車の中で、いざこざを目の当たりにしました。
ワイシャツ姿のサラリーマンが呼んでいた漫画雑誌の端が、自由業っぽい男に触れたとかで、男が当たったことを怒り
「謝れよ!」
と迫っていました。雑誌とかがサワサワ当たるのは少し嫌ですが、謝罪を要求するのは心が狭いと思いました。
わたしは他人のイザコザでも、目の当たりにすると胸が苦しくなってしまいます。
大勢が降りる駅でその男が私の前を歩いていましたが、電車から出るとすぐに立ち止まってキョロキョロするので、ぶつかりそうになりました。
こういう他人に心が狭い人間ほど、自分は他人への心配りが出来ないものです。
自由業というかチンピラ然としか格好をしていましたが、いったい何の仕事をしているのでしょうか。
こういう人間と接点が生まれるのが通勤電車で、まともな人は損でしかありません。
会社を辞めたいと思う理由の一つが通勤
通勤は普通に仕事をしている時より、どっとした疲れが押し寄せます。
根性や体力ではなく、他人の分も疲れを回されるからです。
その状態が出社の段階で既に始まっているので、仕事で発生するストレスに対抗できず、ダメージになりやすいです。
通勤で削られた精神に仕事のダメージが加わって、それが一定量を超えると会社を辞める決断にいたります。
本当なら乗り切れるはずのストレスが、通勤によって許容量を超えてしまいます。
辞めた先に待つワナ
困難に遭遇した時、人は良く考えずに逃避の行動をとります。
逃避はサバイバル本能の一つなので悪いことではないのですが、その本能を見越して人間社会では逃げる先にワナがはられています。
通勤に疲れた果てた人に、しきりに移住を進めてくる過疎地帯があります。
まだ満員電車で消耗し続けるのか?というコピーは、毎日疲れ果てている人の心を揺さぶります。
確かに通勤は楽になるかも知れませんが、通勤以外の全てがしんどい場所だったりします。
通勤地獄はないけど、通勤以外は全部地獄のような僻地です。
しんどい時には判断力が格段に下がっています。
普段は他人に相談をしないで自分で解決する人も、この時ばかりは誰かに相談しても良いと思います。
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