フリーターからスタートした人間が、どういう転職歴を経て高年収を得られたかを書いていきます。
世の中の年収1000万円を超えた人の経験を見ると、若い頃から明確なビジョンがあり、行動力も伴っていました。(35歳の平均年収が500万円弱の頃)
しかしわたしは内向的で、ギラギラとしたバイタリティもありませんでした。
年収1000万円以上は、営業系で売り上げをあげて出世しないとだと思っていましたが、そういうわかりやすいルート以外にも給料が上がる道がありました。
年収の上げ方は社交的で外向的な人の経験談が多いですが、内向型にもそれなりの仕事の仕方があります。
給与所得1000万円までの転職は、フリーターから
かつては入る大学のレベルによって、一生が決まるようなことが言われていました。
それを信じて良い大学⇒大企業に入った人が、今はリストラにあったり倒産を経験したりしているので、未来予測というのはアテにならないものです。
昔はフリーターから社会人スタートしたら、底辺の道しか選択肢がないように思われていました。
しかし実際は選択肢が意外と多くあって、間違った選択をしても引き返す事ができました。
フリーターから正社員の仕事に就職してからも、別の業種に転職したりと定まらない日々を送りました。
学歴的に高年収の大企業には就職できない
わたしは学校の勉強が苦手で、今の表現で言うと学習障害っぽい所がありました。
数学の公式などは完全に分解して、意味を把握しないと使いこなすことが出来なかったので、覚えるのに非常に時間がかかりました。
結局、誰でも入れる専門学校に入って、就活もせずにフリーターになりました。
社会に出てからの勉強で挽回できました。
フリーターとして6年過ごした後に転職
フリーターで6年間生活した後、転職して正社員になった時に目標を作る事にしました。
会社員としてとりあえず年収1000万円をもらえれば御の字だろうということで、それを目標にしました。
願望レベルでも一つ目標が決まると、選択に一貫性が出てきます。
すぐには1000万円になりませんでしたが、正解の選択を積み重ねていけるようになりました。
正社員の転職歴
フリーターから月給25万円のシステム会社の正社員の職に転職する事ができました。
年収だと300万円で、未経験で入ったにしては良いほうでした。
就活を始めて最初の頃に受けた会社は、SPIテストなどの勉強をしておらずボロボロでした。
就活の服装も安っぽい恰好をしていました。
筆記テストや面接方法を練り上げて、ようやく採用されたのがSEの職です。
しかし入社してすぐに協力会社とかいう所に派遣をされて、しばらくそちらに常駐させられました。
そこではひたすら、よくわからないデータでテスト作業をずっとさせられました。
それが終わると今度は協力会社がシステムを導入する手伝いとかで、大手製薬会社に通わされました。
どうもわたしが入った会社は、下請けの雑用係みたいな名ばかりのシステム会社でした。
自社の制作・開発は殆どやっていない会社で、偽装派遣会社に近いようなものです。
人に頼れない状態
システム会社では他に、パッケージソフトに近いデータベースソフトを納入する一員に選ばれました。
顧客の要望を聞いてカスタマイズするのですが、何もかもサッパリわかりませんでした。
客先訪問は営業社員と先輩社員と一緒なので、ついて回ればいいだけと思っていましたが甘かったです。
まず営業社員は何もシステムを知らず、愛想笑いするだけの要員でした。。
先輩は社内でいつも天然ぶりを注意されてる人で、常に眠たそうにしている人でした。
客先で質問が出ると営業も先輩も黙ってしまうので、沈黙に耐えられなくなったわたしがしゃべります。
当然たどたどしいものになってしまいますが、それを営業社員が叱ってきます。
理不尽な気もしましたが、この会社を選んだのは自分なので反省材料として腹に溜めて次の転職の糧にしました。
最初がこんな会社だったので、社会人は人に頼れないものだと認識しました。
将来性がない会社
最初に入った偽装派遣みたいなシステム会社は、今でも細々と存続しています。
その会社はシステムと言っても古いままで止まっていて、廃れた仕事ばかりやっています。
当時の現場のトップの人は、内臓をやられて大きな手術をしていたり、会社に泊っている人が何人もいました。
それでも給料は良くて60万円くらいだと思います。
こういう会社が何も知らない新卒を入れるのは罪なことです。
多少IT業界の事が分かってくると、いかに将来性のない会社だったかわかります。
スキルが身につかない単純作業の繰り返しで、雑用専門の会社です。
この会社は半年くらいで辞めました。
SEの次は企画営業
SEでコテンパンな日々を過ごしたので、次は何か別の方向性をと考えて土地活用系の会社に入る事にしました。
基本給が23万円で、後は営業数字に応じた賞与が出るという条件でした。
一方的に何かを売るというのではなく、土地を借りて運用をするというものなので、それほど押しが強くなくてもできると思っていました。
仕事の流れは地図を渡されて、その街に行って歩き回り空いている土地を探します。
土地を探したら次は役所で持ち主を調べて、電話営業をするリストを作成します。
そのリストに電話をかけて、興味を持った人に営業をかけに行くというものです。
実際、何かを売る営業とは違いましたが、相手の感情に左右される部分が多くあり、社交性・外向性があった方が有利です。
わたしも一応は人に合わせられますが、非合理的な人にあたると疲労が激しかったです。
それに同業の大手は銀行や不動産会社からいち早く不動産情報が流れてくるため、こちらは彼らのおこぼれを拾うような仕事でした。
営業職の休日は呼び出しあり
仕事は土日休みで、年間休日は標準的でした。
しかし、休日に上司に呼び出される事がありました。
事業所の営業目標が足りないので、会社に来るようにということでした。
抜き打ちで電話して来るかどうかで姿勢を試したようで、電話がつながった他の新人も会社に来ていました。
当然のように手当はなく、それらしい作業をして帰りました。
営業っぽいといえばぽいですが、ちょっとこの仕事もキナ臭く感じました。
データベースを作って怒られる
会社に物件の管理方法がなかったので、少し上の人に作成を指示されたので、会社でデータベースを作る作業をしていました。
データベースが出来上がると効率化ができますが、営業として入ったわたしが外に行かないのを見た社長に怒られました。
よく営業が外回りで喫茶店に入って時間を潰すというのがありますが、それは会社で作業をすると怒られるためです。
この社長は特に、営業は足で動き回るという考えの人でした。
この会社は1年半くらいで辞めました。
こんな風にすぐに辞めていたので、20代の会社員歴はあまりなかったです。
年収1000万の求人なんて、書類審査さえ通らない
学歴・職歴的がないので、いきなり年収1000万の求人に応募はしませんでした。
実績がない状態で入れるのは、小さい会社に限られます。
一発逆転は狙わず、小さい会社で実績を上げると後で年収があがりやすいです。
わたしのこれまでの失敗は自分にスキルがない状態で、給料の額の多さで会社を選んだ事にあります。
その結果、給料の上限が低くて低レベルな作業の会社に入ってしまいました。
自分の価値と給料は等価交換しかありえず、分不相応な給料を望めば痛い目を見るという教訓を得ました。
転職に失敗しても得るものはある
もし間違った会社に入ったら事故原因を究明するように、どこが問題だったのかを探して後々の糧にします。
内向的な人は失敗の経験を少しずつ蓄積して、後半で盛り返していける特性があります。
自分がどういう業務の時に働きが悪くなるのかを考えると、それらの共通項が見えてきます。
いくつかの会社を経験して、自分が不得意な事や仕事の種類を体感するのは、無駄なことではありません。
経験の幅が広がれば、多角的な視野を得て判断力の精度が上がります。
長くなったので、いよいよ年収1000万円の業種に辿りつくことになる、次の転職の事は次回に続きます。